鈴木良治
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新潟県中蒲原郡亀田町大字稲葉(現 新潟市江南区稲葉)出身[1][2][3][4]。1906年(明治39年)3月に新潟中学校を卒業、1911年(明治44年)3月に東京美術学校西洋画科を卒業[1][2][3]。
1912年(明治45年)に東京美術学校の同期の大野隆徳、小寺健吉、富田温一郎、山口亮一、横井礼一らと12人で赤甕会を結成[2][3]、時事新報社に勤務する傍ら油彩画の制作を続け[5]、1914年(大正3年)の第8回文展で『靜物』が初入選[1][2]、以後、文展、帝展、光風会展、新光洋画会展などに作品を発表し続け、1918年(大正7年)の第6回光風会展で『手袋の女』および『靜物』により最高賞である今村奨励賞を受賞[2][3][6]。
1922年(大正11年)6月から1923年(大正12年)2月にかけて小寺健吉と近藤浩一路とともにヨーロッパを旅行[2][3]、帰国後、1924年(大正13年)1月に白日会の創立に参加[2][3][7]。
1929年(昭和4年)11月から病気で静養していたが[注 1]、1931年(昭和6年)8月9日午前6時30分に東京府王子町大字上十条(現 東京都北区上十条)の自宅で死去[9]、45歳没。