鈴木英里
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1979年、岩手県大船渡市生まれ[1][2]。家業は祖父・鈴木正雄が創業した東海新報社で、父・鈴木英彦が2代目社長。兄が2人おり、末っ子の長女として育つ[2]。
高校時代も地元岩手に愛着を持ち、岩手県内の大学進学を考えていたところ、母親から地元を離れ視野を拡げることを勧められ、東京の立教大学文学部日本文学科へ進学[2][4]。
大学卒業後は東海新報社を継ぐと決めていたが、憧れでもあった雑誌編集者の仕事を経験するため、東京の出版社に就職し、住宅誌やアニメ雑誌の編集を行った[2] [5]。
母親が病で倒れたことから地元へ戻ることを決め、28歳の時に岩手へ戻り、東海新報社に入社。総務部門で2年ほど勤務したのち、記者としての活動を徐々に開始する[2][6]。
取材の中で会う主婦達から東海新報は女性の読むところかないと言われたことをきっかけに、より女性が関心がある身近な情報を掲載することを考え、当時の編集長などに紙面内容を改革することを提案。写真やイラストを大きく使い、地元の産直野菜を使うレシピの掲載やSNSの活用のほか、読みやすい連載も開始した[2]。
2011年の東日本大震災では、祖母が津波でなくなり、自宅も流されてしまうが、取材を続けた。高台にあった社屋は無事だったため、震災当日は自家発電機を使って、カラーコピーにより号外を発行した。翌日からは、通常の半分の4ページの新聞を輪廻機で刷り、3月末まで避難所などに無料で配って回った[2][5]。
電気が止まり、情報が錯綜する中、東海新報は地域に欠かせないライフラインとなり、情報を届けるという使命感が一層強くなったという[2]。
父が80歳になる時に、事業継承する予定で準備をしていたが、父が急逝し、2020年4月に予定より2年早く、東海新報の代表取締役社長(3代目)に就任[2][3]。
現在も社長業の傍ら、記者としても活躍し、地域と人に寄り添い続けたいとの思いから被災地を駆け回り、被災地のいまを伝え続けている[5]。
脚注
- 1 2 『地域の宝にもっといろんな角度から光を当てて、反射した光を世界中に送りたい』 COMADO,2021年7月29日
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 『「新聞は終わった」と言われるが……。読者シェア7割を維持する《地方新聞の勝ち筋》、家業を継いだ彼女の機転と地方で働く充実感』 東洋経済ONLINE,2025年6月9日
- 1 2 『【人事】東海新報社 代表取締役に鈴木英里氏が就任』 文化通信,2020年4月22日
- ↑ 『地域に発信する意味をこれからも問い続ける』 立教大学,2015/1/01
- 1 2 3 『声なき声に寄り添う…記者として“被災地のいま”伝え続ける新聞社の女性社長【岩手発】』 FNNプライムオンライン,2023年3月11日
- ↑ 『鈴木英里さん』 大船渡ポータル,2023年6月
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