山城国京都で刑部卿・錦織久隆の息子として生まれる[1][4]。父の隠居に伴い、1882年(明治15年)5月27日に家督を相続[1]。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[5]。
安政3年5月(1856年6月)元服して昇殿を許された[3]。以後、中務大輔、淑子内親王家執事、宮中祗候などを歴任[3][6]。1880年(明治13年)判事補に任官[2]。以後、大阪裁判所判事補、堺治安裁判所長、大審院書記、群馬県属、宮内省御用掛、青山御所祗候、英照皇太后御霊前奉仕斎官、英照皇太后御一周年御霊前斎官などを務めた[2][4][6]。
1897年(明治30年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[7]、死去するまで在任した[2][8]。