文政11年(1828年)12月11日、先代藩主・黒田長韶の養嗣子となる。文政13年(1830年)5月にその娘と結婚した上で、同年10月6日に家督を譲られた。同年12月15日、従五位下・甲斐守に叙任する。
先代以来、藩内において専横の限りを尽くしていた間小四郎の一派を流罪に処している。嘉永6年(1853年)、藤堂高聴とともに柳間取締の加談となる。万延元年(1860年)8月21日、家督を六男の長義に譲って隠居した。同年9月19日、自笑庵と号する。慶応3年(1867年)4月4日に57歳で秋月にて死去した。