鍋城 From Wikipedia, the free encyclopedia 別名 鍋倉城城郭構造 山城主な城主 上相良氏、相良氏廃城年 不明logo鍋城(熊本県)別名 鍋倉城城郭構造 山城主な城主 上相良氏、相良氏廃城年 不明指定文化財 なし位置 北緯32度17分09秒 東経130度55分58秒 / 北緯32.2858度 東経130.932641度 / 32.2858; 130.932641座標: 北緯32度17分09秒 東経130度55分58秒 / 北緯32.2858度 東経130.932641度 / 32.2858; 130.932641テンプレートを表示 鍋城(なべじょう)は、熊本県球磨郡多良木町にあった中世の日本の城(山城)。 熊本県球磨郡多良木町黒肥地字鍋城の丘陵南端の標高222mに位置する。東西にそれぞれ小椎川と栖山川が流れ、南麓で合流している。南西側の登城口に大手下の字名が残る。丘上にはかつて長さ43m、底幅5.5mの堀切があり、南側が本丸と二の丸の2区画に分かれていた。 歴史 当城は上球磨の要地にあり、古くから上相良氏(多良木氏)の本拠地だった。文安5年(1448年)に多良木頼観・頼仙が永留長続に雀ケ森で討ち取られると、上相良氏は滅亡した。これにより相良氏本宗は長続が継ぎ、多良木氏の旧領は子の頼泰に与えられた。 長享元年(1487年)に陰謀が発覚して頼泰が殺されると、多良木城や鍋城は宗家の相良為続の支配下に戻った。天文14年(1545年)には、頼泰の孫で八代岡の地頭・相良治頼を推戴して人吉衆が反乱を起そうとしたが、計画が漏れて治頼は鍋城に拠ろうとした。しかし城代の税所源兵衛尉が入城を拒み、治頼は耳取原で戦って敗れた。永禄2年(1559年)の獺野原の戦いでは東長兄ら人吉勢が当城を本拠とし、湯前城の丸目頼美らに対峙している。 参考文献 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(43.熊本県)』、角川書店、1987年 関連項目 日本の城一覧 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles