鍋山城
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概要・歴史
天文年間(1532年 - 1555年)に平野豊後守安室(鍋山安室)によって築かれたといわれる。安室が鍋山に築城し、鍋山氏を名乗った。
鍋山安室は三木姉小路氏の臣下となり、養子に三木顕綱を迎えた。だが顕綱は安室を毒殺し、養母小峯の方と左近大夫を追放し、鍋山城を乗っ取った。
顕綱は、八日町の戦いの3か月後に謀反の嫌疑(羽柴秀吉への内通)により、兄である姉小路頼綱(三木自綱)により鍋山城内で妻と共に暗殺された。
その後、鍋山城は頼綱の次男・姉小路秀綱が城主となり、家督を譲られた後、本城の松倉城へ移動し、三男の李綱が鍋山氏を継ぎ鍋山城主となった。
しかし1585年(天正13年)の飛騨征伐により三木氏は滅ぼされ、鍋山城には金森氏が入った。
金森氏は当初、鍋山城で政務を執り城下の整備などを行ったが、土地が狭く経営に向かないとして鍋山城を放棄し、高山城へ移った[2][3]。
城郭
逸話
鍋山城麓に七夕岩(雄岩・雌岩)があり、おはぐろ蛇の伝説が語り継がれている。
