鍋島綱利

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鍋島 綱利(なべしま つなとし、1910年4月14日 - 1969年9月26日)は、日本の実業家住友電気工業元社長。佐賀県鹿島市出身[1]

朝鮮総督府通信技手・鍋島鋼三の長男[2][3]。1927年(昭和2年)に第五高等学校に入学、弓道部で主将を務めた[4]

1933年東京帝国大学法学部を卒業し、住友電気工業に入社した[1]。翌年には、高校の後輩でのち住友ゴム工業社長となる下川常雄も入社し、下宿先を貸し出した[4]1939年4月1日、第2期経理部甲種幹部候補生として陸軍経理学校に入学し、同年9月23日卒業[5]歩兵第56連隊55連隊とも)附主計少尉として太平洋戦争を迎える[4]淡路山丸よりコタバル上陸作戦に参加。翌年2月のジョホール水道上陸作戦では自ら戦線を志願し、背中に銃創を負う[4]。同年10月時点で陸軍主計中尉[6][7]

1951年総務部長心得、翌年11月総務部長、1954年欧米出張、1955年1月に東京支店長[8]を経て、1956年11月に取締役に就任し、常務、専務を経て、北川一栄の後を継ぐ形で1966年11月から社長に就任した[1]

関西経済同友会代表幹事も務めた[9]

1969年9月26日脳出血により大阪市住友病院で59歳で死去[10]

妻の宏子は住友アルミニウム製錬会長・住友化学工業社長の吉田貞吉の長女[11]。従兄に弁護士で上海居留民団行政委員会長の安井源吾。親戚に亜細亜製薬社長の佐藤末男がいる[12]

栄典

脚注

参考文献

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