鎌田通清

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時代 平安時代後期
生誕 不明
死没 不明
別名 道清、鎌田権守
 
鎌田 通清
時代 平安時代後期
生誕 不明
死没 不明
別名 道清、鎌田権守
官位 従五位河内権守
主君 為義
氏族 首藤氏族鎌田氏
父母 父:首藤資道
兄弟 首藤親清通清、滝口定義
源義朝の乳母
政清
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鎌田 通清(かまた みちきよ)は、平安時代後期の武士河内源氏郎党。鎌田氏の祖。

藤原秀郷の後裔を称する首藤氏の出身で、祖父・資清のころより代々河内源氏に従った。通清もまた源為義に重く仕え、妻は為義の長男・義朝乳母を務めたという。元永2年(1119年河内権守に任じられており、鎌田権守を称して鎌田氏を創めた[1]。鎌田氏の由来は明らかでなく、相模国とも甲斐国巨摩郡の鎌田庄とする説もあるが定かではない。『山内首藤系図』によれば通清は駿河国の住人であり、北条時政烏帽子親を務めたという[2][3]

子の政清は源義朝の股肱の臣として知られ、鎌倉時代まで鎌田氏は御家人として見られるが、それ以降の動向は定かではない[2]

関連作品

脚注

参考文献

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