長南恒夫

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国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県
生年月日 (1939-10-08) 1939年10月8日
没年月日 (1996-05-02) 1996年5月2日(56歳没)
長南 恒夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県
生年月日 (1939-10-08) 1939年10月8日
没年月日 (1996-05-02) 1996年5月2日(56歳没)
身長
体重
179 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手外野手一塁手
プロ入り 1962年
初出場 1963年
最終出場 1969年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

長南 恒夫(ちょうなん つねお、1939年10月8日 - 1996年5月2日[1])は、千葉県[1]出身のプロ野球選手

安房水産高校ではエースとして1957年夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、佐原一高城之内邦雄に抑えられ敗退。卒業後は社会人野球の永幸工場に進む。1961年都市対抗日本通運の補強選手として出場[2]

1962年東映フライヤーズへ入団[1]。投手としては伸び悩み、一軍では1試合登板にとどまる。1964年に外野手に転向し一軍に定着。翌年はラーカーの控えではあるが、一塁手として起用され27試合に先発出場。しかし翌年から大杉勝男が台頭、その後は主として代打として起用されるが、段々と出場機会が減り1969年限りで引退。引退後は東映興業のサラリーマンとなる。

詳細情報

脚注

関連項目

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