長墓遺跡
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宮古島地方では、昔から島尻集落、狩俣集落、大神島に風葬の習慣があった。昭和時代には洞窟などから遺骨が多数発見されたことがあり、仏教系の人々が遺骨を集めて一時観音像を建てていた。また、島尻集落のほぼ中央部の丘に巨大な崖下墓があり、以前から「長墓(ながぱか)または(ながばか)」として知られている。2005年以降、筑波大学(後に西九州大学)のマーク・ハドソンらが科学的調査を行った[1][2]。
長墓は長さが50メートルの崖下で、3つの廓に分かれ、6 - 70体分の遺骨が乱雑に置かれていた。廓の前にはグスク様に囲い(礫)があり、周辺に遺骨を以前収めていたと思われる容器も発見された。岩陰の内外で見つかった土器・陶磁器、キセルからこの墓域の年代は17世紀から18世紀頃と推定され、その当時の墓地として利用されていたことが判明した。その後、古代からの遺跡と判明した。
調査
1971年、1974年、1982年に池田次郎[3]、1997年の百々幸雄(どど)(東北大学)と土肥直美(琉球大学)の頭蓋骨の計測など遺骨の研究[4]があったが、基本的な調査は未だ行われなかった。マーク・ハドソン(当初筑波大学、後、西九州大学)、種石悠は、2005,2006年に筑波大学の学生の協力を得て、発掘を行った。その成果として先史時代後期の貝溜まりを発見した。多くの動物の遺存体があった。脊椎動物部門では、多くの魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類では、ネズミ、オオコウモリ、イノシシ、イヌ、貝類(一部は絶滅種)を発見した。貝斧、木製品、土器、陶磁器を発掘した、キセル雁首を発見した。人骨に一部焼骨がみつかった[5]。