長尾景人
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長尾実景の次男として誕生。享徳3年(1454年)12月に父と兄・景住が関東管領・上杉憲忠と共に足利成氏に殺害された為、家督を継いで上杉憲忠の弟・房顕に仕えて成氏と戦った(享徳の乱)。長禄3年(1459年)の太田庄の戦いにも参戦している。
寛正6年(1465年)、房顕の推挙で室町幕府から下野足利荘の代官に任命された。翌文正元年(1466年)年11月、足利荘に入部し、勧農城を拠点とした[3][4][5]。以後、景人の一族は足利長尾氏と呼ばれるようになる。
上杉氏はここを拠点にして応仁2年(1468年)の上野国での綱取原合戦、文明3年(1471年)には下野に出陣、古河城を落としている。景人はこれらの合戦に加わったが、翌年になると成氏の反撃によって足利荘に攻め込まれた。
文明4年(1472年)、死去[6]。享年は28と推定される[1]。法名は積翁常善[2]。墓所は長林寺(足利市西宮町)[6]。
嫡男・定景が跡を継いだ。