長屋重名

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長屋 重名(ながや しげな、1844年弘化元年[1]〉- 1915年大正4年〉1月30日[1])は、幕末土佐藩士、明治期陸軍軍人。石高は五人扶持切符13石、馬廻[1]。最終階級は陸軍大佐[1]。通称、孫四郎、諱は重忠、のちに重名[1]。海田と号す[1]

国沢才助の三男で長屋助五郎の養子となり、城西中須賀(現高知市)に住した[1]文久元年3月4日1861年4月13日)夜、井口事件にあたって名を認められた[1]戊辰戦争では、1868年慶応4年)折衛隊第七小隊司令として北越戦争に参戦し、各地を転戦して功をあげる[1]1871年(明治4年)御親兵に編入[1]、上京し小隊司令に。まもなく陸軍大尉に任官。

1874年(明治7年)9月、名古屋鎮台参謀長に就任し、兼名古屋衛戍司令官仙台鎮台参謀長を歴任[2]1879年(明治12年)3月、歩兵大佐に昇進[2]1881年(明治14年)1月に休職し、1883年(明治16年)6月、予備役編入となった[2]

退官後、鉄網珊瑚の号で画筆をし風俗戯画に長じた[1]。また刀剣鑑定長じを研究して一家を成した[1]

栄典

主な著作

脚注

参考資料

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