長明寺 (四日市市)
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寺伝では、もとは近くの豊田村[注釈 1]にあって真言宗の潮音寺と称していたが、1485年(文明)17年に画像本尊を下付されたとあるのでこの頃に浄土真宗に改宗したと推察される[1]。その後1604年(慶長9年)に現在の長明寺を公称するようになり、1624年(寛永元年)に正式に寺院となった。1651年(慶安4年)に領主の松平隠岐守より現在の寺地を賜り、翌年に寺を移した[1]。
江戸時代には浄土真宗本願寺派の伊勢国の触頭であった桑名の法盛寺の元で、現在の四日市市域の触口を勤めた[注釈 2]。 寿永(1182~1185)年間、平家資が源氏に対抗するために寺域内に城を構えた。伊勢平氏の拠点となったが、鎌倉幕府からの攻めを受けて落城した。現在でも城跡の濠が長明寺の周りに残っている [6]。

境内
寺の周囲は堀と土塁で囲まれている[7]ので、参道正面の参詣橋を渡って境内に入る。
参詣橋
平成8年に架け替えられた全て石造りで橋、橋の脇に架け替え前の角石柱があって「文化三丙寅二月」(1806年)「桑名城主 前川藤右衛門重芳 寄進」の銘がある[8]。
山門
昭和の初めに建立された瓦葺の四脚門で、入母屋造で正背面軒唐破風付、二軒繁垂木で、各部分に細部装飾が施された建物である[8]。

本堂
1956年(昭和31年)に再建された入母屋造の建物[1]
鐘楼
寺伝では延宝年間(1673年-1681年)建立とされている、装飾の少ない簡素な鐘楼[9]。土壇でできた桟瓦葺の切妻造で、広さは桁行一間、梁行一間の建物である[9]。几帳面取角柱は内転びで設置され、先端に木鼻のある頭貫・飛貫・腰貫で固定されている[9]。妻組は虹梁束立形式で飾られ、虹梁間の桁行に架された大梁に鐘が吊られている。

文化財
知仁親王(後奈良天皇)和歌懐紙
知仁親王が践祚した大永六年(1526年)四月の頃に書かれたものとされている[10]。
年中行事