長晴登

From Wikipedia, the free encyclopedia

長晴登

長 晴登(ちょう はると、1866年9月30日慶応2年8月22日[1] - 1916年大正5年)8月25日[2])は、日本の政治家衆議院議員(3期)。

山形県[2]東置賜郡赤湯村(現在の南陽市)出身。1880年米沢中学(興譲館)を卒業し上京。中村正直同人社、ついで慶應義塾大学で学ぶ[3][4]

1886年に中学校と師範学校の教師免許を取得し郷里に帰るが、教員にはならず、高名な宗教家である北畠道龍に師事して宗教学を学び、師と共に各地に布教活動を行った[4]

1891年重野謙次郎戸狩権之助らと山形自由クラブを結成。1892年に東置賜郡会議員、ついで1895年に山形県議会議員となる。のち立憲政友会に参加[5][4]

実業界では、1894年に赤湯町に設立された金融会社の監査役に就任。1897年に岐阜県選出の代議士・匹田鋭吉らと東京の神田三崎町に東京質屋株式会社を設立、1899年には平清水焼で知られる山形市平清水(旧平清水村、当時滝山村)に平清水陶器株式会社を設立して社長に就任した。さらに1902年には重野謙次郎らと山形日日新聞を創立、主筆兼副社長に就任している[4]

1904年第9回衆議院議員総選挙において山形県郡部から立憲政友会公認で立候補して初当選した[6]。以来連続3回当選。1908年第10回衆議院議員総選挙で再選[7]1912年第11回衆議院議員総選挙でも三選[8]

1910年の政友会結成10周年記念祝賀会では院内幹事に推薦されるなど、いずれは大臣と将来を嘱望されたが、1915年第12回衆議院議員総選挙で落選[9]。翌1916年に死去。勲三等に叙せられた[3]

業績

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI