長野女王 From Wikipedia, the free encyclopedia 長野女王(ながのじょおう、生没年不詳)は、平安時代初期の女官・皇族。系譜・位階は不明。 内教坊に女嬬として出仕していたが、同宿の同じく女嬬であった出雲家刀自女と謀り、にわかに寄宿した知人の船延福女を絞殺し、顔の皮を剥いで遺骸を宮の外に打ち捨てた。殺害動機は、船延福女の所有する僅かばかりの高級な衣服を見たことによる。この罪により、弘仁8年(817年)5月27日出雲家刀自女とともに伊豆国に流罪となった[1]。 ↑ 『類聚国史』巻八十七「刑法部」一「配流」(『日本後紀』巻第二十六 嵯峨天皇 弘仁8年5月27日条) 参考文献 『類聚国史 3』八木書店 、2002年 森田悌訳『日本後紀(下)』講談社学術文庫、2007年 『日本人名大辞典』講談社、2001年 関連項目 葦原王 - 同じく、殺人の罪で配流された皇族。 Related Articles