門田元弥 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 江戸時代初期生誕 慶長6年(1601年)死没 承応4年11月3日(1655年11月30日)別名 通称:久三郎→太郎右衛門尉 凡例門田 元弥時代 江戸時代初期生誕 慶長6年(1601年)死没 承応4年11月3日(1655年11月30日)別名 通称:久三郎→太郎右衛門尉主君 毛利秀就→綱広藩 長州藩氏族 門田氏父母 父:門田元経、母:児玉元兼の娘兄弟 元弥、 女(天野元処室)、元徳、女(兼重景経室)、女(繁沢就貞室、杉就之室)妻 正室:渡辺広の娘継室:村上元武の娘子 就政、二宮久辰、女(市川就貞室)、久重、桑原重経テンプレートを表示 門田 元弥(もんでん もとひさ)は、江戸時代初期の武士。毛利氏の家臣で長州藩士。家格は大組。祖父は毛利輝元の側近を務めた二宮就辰、父は長州藩の大組組頭を務めた門田元経。 慶長6年(1601年)、毛利氏家臣である門田元経の嫡男として生まれる。 元和4年(1618年)9月22日、毛利輝元の加冠状を受けて元服し、「元」の偏諱を与えられて「元弥」と名乗った。 寛永6年(1629年)1月11日には、祖父・二宮就辰や父・元経と同様に「太郎右衛門尉」の官途名を毛利秀就から与えられた。 慶安3年(1650年)12月30日に父・元経が死去し、その後を継いで大組の組頭[注釈 1]を務めたが、承応4年(1655年)11月3日に死去。享年55。嫡男の就政が後を継いだ。 なお、萩城下の市街地には子孫の屋敷跡の長屋門が現存している。 脚注 注釈 ↑ 父・元経が組頭に就任した頃の大組の組数は6組であったが、元弥の時には8組へと増えている。 出典 参考文献 岡部忠夫編著『萩藩諸家系譜』琵琶書房、1983年8月。ASIN B000J785PQ。 NCID BN01905560。全国書誌番号:84027305。 国立国会図書館デジタルコレクション 山口県文書館編『萩藩閥閲録』巻64「二宮太郎右衛門」、巻114「二宮万七郎」 Related Articles