関野聖雲 From Wikipedia, the free encyclopedia 関野 聖雲(せきの せいうん、1889年〈明治22年〉5月2日 - 1947年〈昭和22年〉10月28日)は、日本の仏師、彫刻家。高村光雲の弟子。本名は関野金太郎[1]。 神奈川県愛甲郡小鮎村(現在の厚木市小鮎)の大工の家に生まれる。数え16歳で高村光雲の弟子となる。1906年4月、東京美術学校彫刻科選科に入学し、1911年3月卒業する。在学中の作品「白拍子」が母校に買い取られた[2]。 1913年の第三回東京勧業展覧会において作品が宮内省御用品となる。1915年、第9回文展に初入選。それ以来毎年入選し、文展、帝展で活躍した。1921年3月17日、東京美術学校の助教授となり、後に教授となる。1944年の退官まで後進の指導に尽力した[3]。 昭和22年10月28日、国立博物館講堂に於いての第3回日展審査報告会の際、第三部主任として報告中、卒倒し死去。享年59才[4]。墓所は台東区谷中の海蔵院にあり、聖雲自身が1926年7月に建立したものである。墓石に刻まれた家紋は丸に三つ柏。 作品 力光(帝展特選) 寂境の夕(帝展特選) 鴦崛摩 京都浄瑠璃寺の吉祥天立像模刻 聖徳太子 毘沙門天 大和禅師 など 脚注 ↑ コトバンク 関野聖雲 ↑ 竹中大工道具館 彫刻家関野聖雲の道具 ↑ 東京藝術大学 関野聖雲履歴 ↑ 東文研アーカイブデータベース 関野聖雲 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。表示編集 Related Articles