主計権少属・民部録を経て、昌泰2年(899年)右少史に任ぜられると、父・今雄と同じく太政官の史を歴任し、延喜5年(905年)左大史に至る。またこの間、算博士を兼任している。
延喜7年(907年)外従五位下・主計助に叙任され、延喜11年(911年)主税頭に転じた。延喜12年(912年)正月7日に内位の従五位下に叙せられるが、同月17日に卒去。
勅撰歌人として、和歌作品が『古今和歌集』『新拾遺和歌集』に1首ずつ採録されている[1]。また、延喜4年(904年)の日本紀講筵の竟宴に参加し、『日本紀竟宴和歌』にも和歌作品が収められている。