阿倍古美奈
日本の奈良時代の女官
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生涯
宝亀6年(775年)8月、正五位上から従四位下となる[2]。その後、順調に昇進し、宝亀10年(779年)11月、正四位下[3]、天応元年(781年)11月、正四位上[4]、続けて従三位を授けられている[5]。いつ尚侍と尚蔵に任官されたのかは不明であるが、天応元年3月に尚侍兼尚蔵・大野仲仟が、翌2年(782年)4月に尚侍・藤原百能が没しているので、その後任として任じられたと思われる。延暦3年(784年)薨去した際の官位は、尚侍兼尚蔵・従三位。朝廷は左大弁兼皇后宮大夫の佐伯今毛人と散位の当麻永嗣・松井浄山らを遣わして、喪事を監護させている[1]。その後、従一位を追贈されたとあり[6]、大同元年(806年)6月には、平城天皇の即位に際し、外祖母の故をもって、夫の藤原良継とともに正一位を贈られている[7]。