陳新甲 From Wikipedia, the free encyclopedia 陳 新甲(ちん しんこう、? - 1642年)は、明末の官員、将軍。 四川長寿の人。定州知県などを歴任した。 崇禎元年(1628年)、刑部員外郎となった。崇禎7年(1634年)、右僉都御史に抜擢された。崇禎13年(1640年)、兵部尚書に上り、傅宗龍(中国語版)や孫伝庭(中国語版)らの将軍を任用した。 崇禎15年(1642年)、松錦の戦い(中国語版)で明軍が大敗し、洪承疇が清に降ると、過失を糾弾され、辞任を願い出たが許されなかった。崇禎帝はひそかに陳新甲を講和にあたらせようとした。しかし陳新甲の家童が機密を誤って漏らし、これが群臣の激昂を買った。陳新甲はスケープゴートとして獄に下され、斬首刑に処された。 参考資料 『崇禎長編』 『明史』 『明季北略』 Related Articles