陳玉銘 (汪兆銘政権) From Wikipedia, the free encyclopedia 出生: 1893年(清光緒19年)[1]死去: 没年不明(1943年8月時点では存命)出身地: 清盛京将軍管轄区奉天府承徳県職業: 政治家陳玉銘 『最新支那要人伝』(1941年)プロフィール出生: 1893年(清光緒19年)[1]死去: 没年不明(1943年8月時点では存命)出身地: 清盛京将軍管轄区奉天府承徳県職業: 政治家各種表記繁体字: 陳玉銘簡体字: 陈玉铭拼音: Chén Yùmíngラテン字: Ch'en Yü-ming和名表記: ちん ぎょくめい発音転記: チェン ユーミンテンプレートを表示 陳 玉銘(ちん ぎょくめい、1893年〈清光緒19年〉 - 没年不明)は、中華民国の政治家。北京政府では奉天派と目され、後に蒙古聯合自治政府、南京国民政府(汪兆銘政権)で要職をつとめた。 1917年(民国6年)、奉天専門学校法科を卒業。以後、警察・検察分野を主に歴任し、奉天省柳河県県長などをつとめる。 1937年(民国26年)9月、陳玉銘は于品卿とともに察南自治政府を組織し、于は最高委員、陳は総務処処長兼民政庁庁長となる。1939年(民国28年)9月、蒙古聯合自治政府が成立すると、察南政庁長官に任ぜられた。翌年3月、南京国民政府(汪兆銘政権)の成立とともに、中央政治委員会委員となる。1943年(民国32年)8月、察南政庁が宣化省に改組されると、参議会参議に異動した。 日本敗北後の消息は不明である。 注 ↑ 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』による。『最新支那要人伝』は1890年(光緒16年)12月生まれとしている。 参考文献 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。 東亜問題調査会編『最新支那要人伝』朝日新聞社、1941年。 Related Articles