陳翔 From Wikipedia, the free encyclopedia 陳 翔(ちん しょう、生没年不詳)は、中国後漢の政治家。字は子麟、もしくは仲麟[注釈 1]。豫州汝南郡召陵県の人。祖父は司隷校尉の陳珍。「八及」の一人。 陳翔は若い頃から名を知られ、交流を広げていた。孝廉となり、太尉の周景に高第に挙げられて侍御史となった。大将軍の梁冀におもねらなかったため、罪に問われた。 定襄太守となり、中央にもどって議郎となった。揚州刺史にうつった。そこで、豫章太守の王永と呉郡太守の徐参の不正を上奏した。徐参は当時権勢をふるっていた宦官の徐璜の弟であったので、威名はとどろいた。再び議郎とされ、御史中丞となった。 延熹9年(166年)、一回目の党錮の禁に座し、赦免をうけることなく家で没した。 三国志演義 字を仲麟という。劉表の七友の一人であり、「江夏八俊」の一人としてあげられる。 脚注 注釈 ↑ 范曄の『後漢書』では子麟とし、陳寿の『三国志』劉表伝の注にひく張璠の『後漢紀』では仲麟とつくる 出典 参考文献 この節には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。 適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2024年2月) 『後漢書』列伝61党錮伝 『三国志』劉表伝裴註 『三国志演義』 Related Articles