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陸修静

中国南北朝時代の道士 From Wikipedia, the free encyclopedia

陸 修静(りく しゅうせい、406年 - 477年[1])は、中国南朝宋の天師道の道士[2]。道教経典を整理した初期の人物。虎渓三笑の故事でも知られる[3]。

人物

字は元徳、号は簡寂[2]。呉興東遷(浙江省)の人[2]。三国呉の陸凱の子孫[2]。

若くして官職や妻子を捨て、雲夢山(中国語版)に隠遁した後、道書を求めて各地を遍歴する[2]。461年、廬山の麓に簡寂館を建てて住む[2]。その後、南朝宋の明帝に招かれて建康の崇虚館に住む[2]。471年、明帝の治病を祈願して塗炭斎をおこなう[2]。

仏教の知識もあり、仏教者と論争した[4]。門徒に孫遊岳・李果之がおり[4]、孫遊岳の門徒に陶弘景がいる。

業績

432年『陸先生道門科略』を著し、腐敗した天師道教団を改革した[2]。

437年『霊宝経目序』(『雲笈七籤』巻4所収)を著し、霊宝経(中国語版)を整理した[2]。『霊宝経目』は敦煌文献2861・2256号に引用のみ伝わる[5]。

471年、道教経典の目録『三洞経書目録(中国語版)』(現存せず[5])を明帝の勅により献上した[1]。これは最初の道教経典目録であり、経典分類法の三洞説は現代まで使われている[1](三洞説の創始者が陸修静かは諸説ある[4])。廬山の慧遠の弟子による仏教の一切経目作成の影響を受けている[4][6]。

その他、443年ごろ『太上洞玄霊宝授度儀』、453年ごろ『洞玄霊宝五感文』を著した[2]。

脚注

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