陸元方

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陸 元方(りく げんほう、639年 - 701年)は、唐代官僚政治家は希仲[1]本貫蘇州呉県[2][1]

南朝陳給事中黄門侍郎の陸琛の曽孫にあたる。明経に挙げられ、さらに八科挙に応じて全て及第し、監察御史に累進した。武周のとき、元方は嶺南に使者として赴き、海を渡った。洛陽に帰ると、殿中侍御史に任じられた。その月のうちに鳳閣舎人に抜擢され、判侍郎事をつとめた。まもなく来俊臣に陥れられたが、武則天の手勅により特赦された[2][1]

長寿2年(693年)、鸞台侍郎・同鳳閣鸞台平章事(宰相)に昇った。延載元年(694年)、さらに鳳閣侍郎の任を加えられた。証聖元年(695年)、内史の李昭徳が左遷されると、元方は李昭徳の罪に連座して、綏州刺史に左遷された。ほどなく春官侍郎として復帰し、さらに天官侍郎・文昌左丞(尚書左丞)に転じた。聖暦2年(699年)、再び鸞台侍郎・同鳳閣鸞台平章事となった。聖暦3年(700年)、宰相を退任し、司礼寺卿となった。太子右庶子に任じられた。ほどなく文昌左丞に転じた。大足元年(701年)2月7日、死去した。享年は63。越州都督の位を追贈された。開元18年(730年)、さらに揚州大都督を贈られた[2][3]

子女

  • 陸象先
  • 陸景倩(監察御史)[4]
  • 陸景融(工部尚書・東京留守)[4]
  • 陸景献(殿中侍御史・屯田員外郎)[5]
  • 陸景裔(河南県令・庫部郎中)[5]

脚注

伝記資料

参考文献

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