障害の社会モデル
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障害の社会モデル(しょうがいのしゃかいモデル)は、「障害」というものを障害者個人の特性ではなく、おもに社会によって作られたものとみなす考え方である。障害者の生活に不自由があるのは制度的障壁や偏見、社会的排除のためであるという立場を取る。
障害の社会モデルが出てくる以前は、障害の医学モデルという見方が主流であった。医学モデルでは障害を個人の問題としてとらえ、心身の機能を「正常」に近づけることで回復を目指すべきと考える[1]。しかし身体や感覚、知能、精神のはたらきが人と違っても、それが障害に直結するとはかぎらない。社会の側が違いを考慮し、さまざまなニーズに合わせた環境を用意していれば、心身の機能が違っても不自由なく生活できると考えられるからである。
障害の社会モデルは社会によって作られた制約に着目し、障害者のニーズに対して公平な社会的・構造的支援が提供されているかどうかを問題にする[2]。たとえば階段を上ることができない人に対し、医学モデルではその人の身体機能を修正して階段を上れるようにしようと考えるが、社会モデルでは階段のかわりに車椅子で上りやすいスロープをつけるなどして、階段を上らなくていい環境を整備しようと考える[3]。階段を上れないという機能的障害が消えるわけではないが、社会の側が変われば、それはもはや生活上の障害ではなくなる。階段をいっさい上らなくても、目的地に問題なく到達できるからである[4]。
障害者の権利運動
障害と社会との関わりを見ようとする動きの萌芽は1970年代以前から見られた。英国の政治家で障害者権利運動家であるアルフ・モリスは、1969年に次のように述べている[5]。
〔障害者の権利についての〕私の法案が発表されると、治らない病気や障害を抱えた人々に対してどのような改善を考えているのかとみなさんから聞かれました。やはりアクセスの問題から始めるのが最善であるように思います。私はこう説明しました。障害のある人々に課される、重大で不当な社会的ハンディキャップを取り除きたいのだと。障害者本人だけでなく、その家族や友人も同様に苦しめられています。役所や美術館、博物館、大学といった場所からの排除だけが問題ではありません。居酒屋やレストラン、劇場や映画館などの娯楽施設へのアクセスも奪われています。……社会が障害者を別の生物であるかのように扱うのをやめさせたいと我々は願っているのです。
障害の社会モデルの歴史は、障害者の権利運動の歴史とともに始まった。1970年頃、北米の社会学者、障害者、障害に関する政治団体を含むさまざまなグループが、医学のレンズを通じて障害を見る立場から距離を置きはじめた。治療的観点のかわりに、社会的な抑圧、人権、アクセシビリティといった話題が取り上げられるようになった。こうした視点の変化はやがて、障害は社会的な構築物であるという考え方につながっていく[6]。
1975年には、隔離に反対する身体障害者連盟という英国の団体[7]が次のような声明を出した。「我々から見れば、身体にインペアメントのある人々を障害者たらしめているのは社会なのである。障害は、我々の身体的インペアメントの上に課された重荷である。我々は不当に社会参加から排除され、孤立させられているのだ」[8][9]。これは障害の社会的解釈、または社会的定義として広く知られるようになった[10]。
マイク・オリバー
1983年、上記のような思想の発展を受けて、障害学者のマイク・オリバーが障害の社会モデルという言葉を考案した[11]。オリバーはとくに、個人モデルに対しての社会モデルという立場を重視していた[12]。1990年の著書『障害の政治[13]』は、社会モデルという認識を広めた大きなきっかけとして広く引用されている。ただし、この本のなかで障害の社会モデルに言及されているのはわずか3ページである[6]。
概念の広がり
障害の社会モデルの概念はオーストラリアや英国、米国など各国の研究者や活動家により普及・発展し、身体障害者だけでなく学習障害や知的障害、精神や行動に関する困難を抱える人々にも広く適用されるようになった[14][15]。