ニューロダイバーシティ

神経学的多様性は、ジェンダー、民族性、性的指向や障害とならび、社会的カテゴリーとして認識され尊重されるべきであるとする主張。 From Wikipedia, the free encyclopedia

ニューロダイバーシティ英語: Neurodiversity)は、Neuro(神経)とDiversity(多様性)の2つを組み合わせた造語で、「脳や神経、それに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会の中で活かしていこう」という考え方[1]。特に、発達障害において生じる現象を、能力の欠如や優劣ではなく「人間のゲノムの自然で正常な変異」として捉えるという概念[1]。「神経多様性」あるいは「脳の多様性」とも呼ばれる。

歴史

Jaarsma and Welin (2011) によると、ニューロダイバーシティ運動は1990年代にインターネット上の自閉者のグループから始まった。そして、現在では、自閉スペクトラムをはじめとするさまざまな脳の違いを持つ人々の人権を求める闘いとして知られている[2]。ニューロダイバーシティという用語は、前世紀に唱えられた自閉症の「冷たい母親説」からも距離をとっている[3]

ニューロダイバーシティのパラダイムは自閉スペクトラム当事者によって主導されているが、次いで出現したグループでは、自閉スペクトラムではない人々、例えば双極者[4][5]、ADHD者[6]、統合失調症者[7][8][9]、統合失調感情障害者、ソシオパス者[10]、睡眠リズム障害者などによっても唱えられている。

ニューロダイバーシティという用語は自閉コミュニティのなかで生まれたものだが、これを一般に広めたのはジャーナリストのHarvey Blumeである[11]。Blumeは1990年代後半にニューヨーク・タイムズ紙やアトランティック誌に寄稿した記事でニューロダイバーシティという言葉を紹介した。なおオーストラリアの社会学者であるJudy Singerがこの言葉の考案者であるとも言われていたが[2]、最近の研究ではこの説は否定されている[12]。Harvey Blumeがオピニオン雑誌アトランティックに発表した記事には、以下のように書かれている[13]

神経多様性は、生物多様性が生物にとって重要であるのと同じように、人類という種にとって重要な概念かもしれない。どんな時にどんな神経配線が一番適しているか、全てお見通しにできる人などいるだろうか? 少なくとも、サイバネティクスやコンピューター文化においては、いくらかは自閉的であるマインドが向いていそうだ。[13]

Blumeは、それ以前にも、1997年6月30日のニューヨーク・タイムズで、ニューロダイバーシティという用語自体は使わなかったものの、「神経学的多元性」というアイデアについて記載していた[14]

定型発達が支配する世界に住んでいると、自閉者は致し方なく彼ら自身の慣習を手放さなくてはならない。でも、一方で、彼らは彼ら同士で新たな社会契約を結んだんだ。その中では、神経多元性を強調している。この契約は自閉者が集うインターネットフォーラムやWebサイトで生まれた。…定型発達こそ多様な神経配線のうちの一つだ。時に数が優勢であるというだけで、必ずしもベストな配線というわけではない[14]

Blumeはまた国際的なニューロダイバーシティ運動を盛り上げていくためにはインターネットが重要な役割を果たすということを予想していた[15]

インターネットでのつながりには政治的な意味合いがある。サイバースペース2000と呼ばれるネット上のプロジェクトでは2000年までにできる限り多くの自閉スペクトラム者を集めることを目指している。…そもそも、インターネットは自閉傾向を持つ人にとって自分自身の生活を向上させるために不可欠なものである。というのも、インターネット上の会話は、彼らがコミュニケーションを効果的に行うことができる唯一の方法であることがしばしばあるからだ。……私たちにとってますます切迫してくる課題は、オンラインやオフラインで、自分自身をこれまでとは違った仕方で見ること、つまり、ニューロダイバーシティを迎え入れることだ」[15][15]

何人かの著作家[16][17]は、最初期の自閉アドボケーターはJim Sinclairであると主張する。Jim Sinclairは国際自閉ネットワークの初代会長である。Sinclairは1993年の声明で「我々を憐れむな」と主張した[18]。自分の子供が自閉症であると診断された親たちは自分の子が自閉症であることを「人生でもっとも傷ついた出来事」だと考えることがある。Sinclairは、

自閉的ではない人は自閉症を悲劇であると見なし、親たちは子供と家族のライフサイクル全般にわたって絶望と悲観を味わうものとされている。しかし、この親の悲観は子供の自閉症そのものに由来するわけではない。むしろ、親自身の、普通の子供を持ちたかったという願望や子供は普通の子として生まれるだろうという期待が裏切られたことに由来する。自閉症の底に「普通の子供」が潜んでいるわけではない。自閉症は一つの生き方であり、生き方全体に及んでる。自閉症は全ての経験・感覚・知覚・考え・感情を色付けている。そして、存在のすべての側面に関与する。自閉症だけを当人から引き剥がすことはできない。もしそんなことが出来たのであれば、自閉症を引き剥がされて残った人は元の人ではない。ーー重要なのでもう一度言いますよ。もう一度考えてみてください。自閉症は生き方です。自閉症と人を分けることはできません。[18]

Sinclairは、1990年代初頭に「定型発達」という言葉を造ったことでも知られている。「定型発達」はもともと自閉的ではない脳を持つ人を表す言葉だったが、現在ではより広く、神経学的に典型的な発達をした人やそういった人の周りに築き上げられた文化を指す言葉となった。Sinclairも前述のSingerも、神経学的な差異を持った人に対する新しい見方を創造した。最初は自閉スペクトラムがその対象であったが、結果的に、より広い神経学的差異も対象とするようになった。

用語

リンショーピング大学のPier Jaarsma は2011年の論文のなかで、ニューロダイバーシティは「論争のある概念」だが、もっとも広義の意味では「非定型的な神経発達を通常の人間の差異と見做す」ものだと位置づけた[2]

ニック・ウォーカー英語版によるニューロダイバーシティの定義は広く参照されている。ウォーカーはニューロダイバーシティを「人間の精神のあり方の多様性、つまり私たちの種の中に見られる神経的な認知の働き方の無限のバリエーション」と定義する[19][20]。ウォーカーによれば、ニューロダイバーシティとは単に生物学的な事実を表す言葉であり、特定の物の見方を指すニューロダイバーシティ・パラダイムや、権利擁護運動であるニューロダイバーシティ運動とは区別される[19]。脳や神経のはたらきが世の中で「普通」とされる基準から外れた人たちは、ニューロダイバージェントと呼ばれる。なかでも、その違いが差別社会的排除と結びついている場合、その人たちはニューロマイノリティであると言える。ニューロマイノリティはジム・シンクレア英語版が考案した言葉で、ニューロティピカル(いわゆる定型発達)と対比されるものである[21]。ウォーカーによれば、ニューロマイノリティは脳神経的な違いを病理と見なすのではなく、その困難を社会的な周縁化の文脈で捉えるための重要概念である[21]

自閉者の権利運動

自閉者の権利運動 (autism rights movement, ARM) はニューロダイバーシティ運動の中における社会運動で、自閉の当事者や支援者、および社会がニューロダイバーシティの視点(自閉を治療されるべき精神障害というよりも機能的な多様性として受け入れる立場)を取り入れることを奨励するものである[16]。自閉者の権利運動は様々な目標を掲げている。たとえば、自閉的なふるまいを受容すること[22]、自閉者に対して定型発達を真似た行動を強制するのではなく、自閉の特性に合わせたコーピングスキルを身につけられるようなセラピー[23]、自閉者が自分らしく交流できるような社会的ネットワークやイベントづくり[24]、また、自閉の人びとを社会的マイノリティとして認識すること[25]などが含まれる。

批判

ニューロダイバーシティという概念には論争がある[2]障害の医学モデル英語版を支持する人は脳神経の違いを欠陥や機能不全と同一視しており、ニューロダイバーシティに包まれる諸特徴は、治療可能であり治療すべきである医学的な状態であると主張する[26]。対して、例えばDavid Pollakはニューロダイバーシティを「どんな心の状態も平等であることを示す」用語であると評価している。一方で、ニューロダイバーシティという用語を「依然として医学的すぎる」と考える人もいる[26]

自閉におけるニューロダイバーシティという概念は、自閉スペクトラムのなかでも「高機能な」人やそれほど困難が大きくない人向けの考え方であると批判されることがある。「低機能な」自閉者は、日常生活においてしばしば重大な不利益を被っており、高度な支援ツールを使ってもうまく生活を送れないことがある。「低機能な」自閉者の多くは自分自身の意見や希望をうまく理解してもらえないため、誰が彼らの意見を代弁するか、何が彼らの利益になるか、という点が議論の的になる[27]

2012年にJaarsmaとWelinは「高機能な自閉と低機能な自閉の両方を包含するような広義のニューロダイバーシティの考え方は問題含みだ。高機能な自閉だけを対象とする狭義のニューロダイバーシティだけが理にかなっている」と主張した[2]。彼らはさらに、「ケアを必要としない高機能な自閉者は自身を欠陥と捉える見方から解放され、介入を受けずにより良い暮らしができるだろう。しかし低機能な自閉者や、高機能でもケアを必要とする人はそうではないかもしれない。受容によって社会関係やコミュニケーション、こだわりや感覚の問題を『治す』ことはできないのである」と論じている[2]

ニューロダイバーシティの考え方を反治療的と捉えて批判する意見もある。医学生物学的な治療は、例えば自閉や自閉にともなう様々な症状を治療のターゲットにし、現在はそれらを完全には治癒できないにしても、今後生活機能やQOLを明らかに向上させることができるようになるかもしれない。治療の開発には発明や投資が必要であり、臨床応用するにはしばらくかかるかもしれない。それでも、新しい治療は将来長きに渡って大きな利益をもたらす可能性がある[27]。その視点からいえば、自閉は病気ではないという見方は、自閉の人とその家族の苦悩を軽視していると捉えられる場合がある[28]

自閉症のライターでありブロガーであるJonathan Mitchellは、ニューロダイバーシティ運動に対する声高な反対者であり、自閉の根治のための研究を進めるべきであると主張する。彼は、ニューロダイバーシティを「難しい問題に対して、安易な答えを出している」「自閉症の障害としての側面を軽視している」と批判する[29]。また、自閉症のせいで「これまでパートナーを得ることを妨げられた」「協調運動がうまくできず、筆記に困難を生じた」「人とうまく交われなかった」「集中することが苦手で、物事をやり遂げることが苦手になった」と自身の困難体験を述べている[30]。またニューロダイバーシティ運動は低機能な自閉症者にとって何の解決ももたらしていないと主張する[31]。さらに彼は、著名な自閉の著述家であるテンプル・グランディンについても、「自閉症の症状や体験を過度に一般化し、私の苦悩を軽視するような書きぶりであった」と苦言を呈している[32]

ニューロダイバーシティ推進と日本企業における展開

発達特性に応じて能力を最大限発揮できる雇用環境を創出する動きが欧米企業を中心に活発化するなかで[33]、日本でもニューロダイバーシティを生かした経営は、イノベーション創出や生産性向上を促す成長戦略として近年関心が高まってきている[34]2022年10月13日、ニューロダイバーシティの啓発を行うことを目的とし、東京・日本橋周辺の企業が「日本橋ニューロダイバーシティプロジェクト」を発足させた。武田薬品工業株式会社が企画・運営し、賛同企業・団体として花王株式会社野村ホールディングス株式会社SBI新生銀行グループ三井不動産株式会社など計15社が参画している[35][36]。ニューロ・マイノリティを活用している企業の例としては、オムロン株式会社ソフトバンク株式会社アクセンチュア株式会社が挙げられる[37]

発達障害のある人々の特性を強みとして生かしIT事業を展開するデンマークの先進的な企業Specialisterne英語版のビジネスモデルを参考にした株式会社Kaienをはじめ、株式会社LITALICO、ウェルビーなど就職支援に取り組む企業も広がっている。

他国では一般雇用枠でのニューロ・マイノリティの雇用数が増加傾向にあるが、日本では法的な障害者雇用に守られている現状がある。結果的に、一般雇用枠で勤務する場合は、定型発達の人々と同等のキャリアや給与を得られる一方で、障害に応じた配慮が得られにくくなる。逆に障害者枠では、配慮が得られやすい一方、キャリアや給与が定型発達の人々よりも低水準にとどまる。「キャリア・給与」と「障害配慮」がトレードオフの関係性にあるなど、日本企業においてニューロダイバーシティ推進を進めていく上での課題もある[38]

脚注

参考文献

関連項目

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