障害文化

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障害文化(しょうがいぶんか、英語: Disability culture)とは、1980年代後半に形成された概念であり、障害によって形づくられた、あるいは影響を受けた独自の生活様式を指す。障害の文化障害者文化とも呼称される[1]。障害を病理化する言説(すなわち、優生思想や医学モデルに由来する障害観)とは区別される[2]。障害のある人の一部は、障害を一つのアイデンティティ、あるいは文化的マイノリティとしての経験として捉え直すために、この概念を用いてきた[3]

障害文化という概念は、障害に関する問題を考えるうえで重要な新しい視点として注目を集めているが、統一的な見解は存在しない[4]。障害史研究者であるスティーブン・E・ブラウン (Steven E. Brown) は、障害文化は「私たち障害者自身が、自らの生活経験を語るために生み出してきた作品や信念、表現の総体である。それは、私たちがどのように扱われてきたかよりも、私たちが何を創り出してきたかに重点を置く」と述べている[5]

ろう文化は、1965年にはすでに言及されているなど、より長い歴史を有している[6]。また、ろう文化は、より広範な障害文化とも結び付けて理解することができる。これは、ろうや難聴が他者によって障害としてみなされてきたこと、また、多くのろう者や難聴者が、ろうや難聴であると同時に他の障害も有している場合があること(デフプラス英語版)の双方によるものである。

従来、障害者の問題は障害者個人に帰せられるものであり、障害は治療やリハビリテーションによって「治すべき」「克服すべき」ものだとする「個人モデル」あるいは「医学モデル」と呼ばれる考え方が支配的であった。これに対し、障害者の問題は当事者を取り巻く社会環境にこそあるとする「社会モデル」が提唱された。社会モデルは、障害の医学的側面や個人の心理的側面そのものを否定するものではないが、障害者問題を個人に還元せず、社会関係や制度に起因する社会問題として捉える点において、前述の医学モデル・個人モデルとは大きく異なる[4]

こうした理論的転換の影響は、国際的な障害分類にも現れている。世界保健機関 (WHO) が1980年に公表したICIDH(国際障害分類)は、障害をimpairment(機能障害)、disability(能力障害)、handicap(社会的不利)という三つの水準に区分し、主として個人の機能的欠損から社会的不利へと至る直線的な図式で把握していた。これに対し、障害を個人と環境との相互作用の中で捉える視点が提起され、ICIDH-2(国際障害分類第2版案)へと改訂が進められた。その成果は、2001年のWHO総会においてICF (International Classification of Functioning, Disability and Health) として正式に承認されている[4]。ICFは医学モデルと社会モデルの統合を志向しており、障害に対する環境の役割を重視しているほか、各次元間や各要因間の相互作用を強調している[4]

このような障害観の転換を背景として、近年では障害を「文化」の観点から捉える試み、すなわち「障害文化」という概念が提起されている。とりわけアメリカでは、「障害者として生きることに誇りを持つ」ことを掲げる障害文化運動が展開され、自己肯定やアイデンティティの再構築を志向する実践が広がってきた。日本においても、障害学の領域を中心に、障害文化に関する理論的・実践的取り組みが徐々に進められている。

特徴

障害文化に関する先行研究は、寺田貴美子の整理によれば、概ね次の二つの立場に大別できる[4]。すなわち、(1)障害者間に見いだされる固有性・共通性から障害文化を規定しようとする立場、(2)障害者が担う多様な文化の総体として障害文化を捉える立場である。もっとも、この区分は厳密な類型ではなく、各立場への批判や検討があるほか、論者によって主張は細分化され、両者にまたがる見解も存在する。

障害者間の固有性・共通性に着目する見方

障害文化をめぐる議論の一潮流として、障害者という集団の内部に見出される固有性や共通性に着目し、そこに文化的独自性を見いだそうとする立場がある。寺田貴美子は、この立場を、障害者間に何らかの文化的な共通項を抽出したり、他の文化との差異を明確化したりすることによって「障害文化」を規定しようとする見方として整理している[4]

臼井正樹は、この議論を理論的に整理するため、文化概念を文化人類学の議論に即して検討し、とりわけ「集団ごとの差異のラベル」や「社会集団ごとに暗黙に習慣化した規則の集積」としての「文化」概念を基礎に障害文化を捉える視角を提示した[7]。臼井によれば、「障害者文化」とは、「障害のある者の集団において、その集団のなかで暗黙に習慣化した規則のうち、他の集団とは異なったものの集積」である[4]。この定義においては、「障害者文化」は個々人の属性としてではなく、集団への帰属と規則の共有を通じて成立する関係的概念として理解される[4][7]。臼井は「障害者文化は、障害のある者がその集団に属し、規則を共有していなければ意味がない」と述べ、障害者文化を、個人の属性ではなく、集団への帰属と規則の共有によって成立するものとして位置づけている[4]。さらに臼井は、「障害者が自ら違う存在であるということを主張するうえで、健常者に対しその差異の承認を求めること、そのことこそが障害者文化を発信する意味なのではないだろうか」と述べている[4]。このように、障害文化は、障害者集団内部で共有される規則の集積であると同時に、健常者集団との関係性のなかで差異を可視化し、その承認を求める契機として位置づけられている。

他方で山田富秋は、障害文化の固有性を認めつつも、このような固有性・共通性に着目する見方が、障害者内部の多様性を過度に単一化する危険を孕むことや、「固有文化」の強調がかえって特殊化や差別の根拠として利用されうる点を指摘している[8]。山田は、障害者文化の独自性もまた「健常者」文化との関係のなかで生成されている可能性を指摘し、その前提に立つならば、同化を迫る健常者文化との関係そのものを再検討すべきだと論じる。また、障害者の固有文化の宣言は、健常者文化に対する挑戦を含みつつも、独自の文化構築へ向かうのではなく、健常者文化の否定や「当事者にしかわからない」とする当事者幻想の強調へと傾き、結果として文化の狭隘化を招く場合もあったとする。そのうえで山田は、障害の有無による対立構図にとどまらず、双方を包摂する全体的な関係の再編を問う必要があると述べている。

多様な文化の総体として捉える見方

杉野昭博は、「障害の文化」を単一の実体としてではなく、少なくとも三つの側面から把握できるものとして整理している。すなわち第一に、健常者社会による〈名づけ〉や役割期待によって形成される「従属文化」としての側面[9]、第二に、その〈名づけ〉や規範への反発・抵抗から生じる「対抗文化」としての側面[10]、第三に、当事者の仲間集団(ピア)やコミュニティの相互作用を基盤に、点字・スポーツ・当事者運動やデフ・カルチャー等のように独自に創造・維持される「固有文化」としての側面[11]である。杉野はその具体例として自身の「日本の盲人文化」研究を挙げ、「盲人文化」を従属文化・対抗文化・固有文化という三側面に即して説明している。杉野は日本の盲学校を、社会から押しつけられた「従属文化」、それへの反発として生じる「対抗文化」、そして盲人が共同生活の中から独自に創造した「固有文化」という三つの文化が同時にせめぎ合う場[12]として描いている。盲学校や福祉機関は、「盲人」という〈名づけ〉と役割期待を通じて特定の自己像および進路(按摩鍼灸)を内面化させることで「従属文化」を形成しうるが[13]、これに対しては日常的抵抗や集団的闘争(1972年の雑司ヶ谷闘争など)を通じて「対抗文化」も生起するとされる[14]。盲人の「固有文化」の要素としては、点字コミュニティ、盲人スポーツ、当事者団体の歴史などを挙げており、日本においては三療業(按摩・鍼・灸)と盲学校が「(盲人の)固有文化」の重要な軸をなしてきたと論じる[15]。なかでも、按摩業を盲人の専業として晴眼按摩業者を排除することを求めて行われた「按摩専業運動」は、盲人が社会の中に拠って立つ場を求めた象徴的運動として位置づけられている[16]

日本の障害者運動・障害学において

参考文献

脚注

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