隼ちゃん事件
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事故の発生
1997年11月28日朝、東京都世田谷区の世田谷通りで青信号で横断中だった小学2年生男児児童(当時8歳)が渋滞で停車中の大型ダンプカーに轢かれて即死する事故が発生した[1]。
事故現場は道幅が狭く、両側にはガードレールが設置されており、歩行者が車両を避けることが難しい構造であった[2]。
被害児童は青信号の点滅中に横断を開始し、横断歩道中央付近まで小走りで進んだが、信号が赤に変わったため引き返そうとした。その際、横断歩道上を塞ぐ形で停止していたダンプカーが発進し、児童に接触した。児童は車両の進行方向へ逃れたものの、横断歩道から約6.8メートル離れた地点で追いつかれ、左側前後輪に轢過され即死した[3]。
事故の捜査
この事故によりダンプ運転手(当時32歳)は業務上過失致死罪と道路交通法違反(ひき逃げ)で現行犯逮捕された[1]。
成城警察署は当初、起訴は確実とみて捜査を進めていたが[4][5]、検察は1997年12月28日、運転手を嫌疑不十分として不起訴処分とした。
運転手の調書によると、渋滞のため横断歩道を完全に塞ぐ形で止まった。停止直後に同僚から呼び出しを受けたが前の車が動いたので無線交信をしながら車を動かした。そのとき、後輪タイヤがバウンドしたので右後方を見たが変わったことがなかったのでそのまま発進したと説明した[6]。
遺族がダンプ運転手が不起訴になったことを知って検察に問い合わせたところ、当時の刑事訴訟法に処分内容や理由の通知は告訴人や告発人に限られており被害者や遺族について規定がないことを理由に東京地検は「処分理由を教える義務はない」と回答した[1][注釈 1]。
この検察の対応が報道され、国会でも取り上げられることとなった[9][10]。
1998年、交通事故の起訴処分の理由を被害者・遺族に伝える交通事故連絡室を交通部に開設した。また、隼ちゃん事件の不起訴処分理由は「(隼くんの)衝突までの行動がよくわからないので起訴できなかった。」と説明した[11]。
再捜査と裁判
1998年5月、遺族が東京第二検察審査会に審査を請求。また遺族の目撃者探しによって新証言[12][注釈 2]が出てきたため、ダンプ運転手を業務上過失致死罪で在宅起訴し、ひき逃げ容疑については「事故に気づいていながら逃走したとは認められない」として、不起訴(嫌疑不十分)にした[14]。
東京地検は禁錮2年を求刑し、東京地裁は禁固2年執行猶予4年判決を言い渡した[15]。
遺族は民事訴訟を起こし、裁判所は「被害者に過失は一切認められない。運転手の一方的な過失[16]」と認定して、運転手と会社に総額3200万円の支払いを命じた[17]。
社会的影響
この事故の検察の対応が問題視されたのがきっかけで、事件の処分を被害者等に知らせる「被害者等通知制度」が全国的に[注釈 3]導入され[18][19][9]、犯罪被害者保護関連法の成立に影響を与えた[10]。
また、この事件により被害者側が検察審議会に申し立てするケースが増え、少なくとも10件の事件が不起訴不当の判決を受け、再調査されることになった[20]。