雄冬海運
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陸の孤島と呼ばれた雄冬と増毛を連絡する航路は、近代化以降個人事業によって運航されていたが、1957年(昭和32年)に雄冬住民らの出資によって雄冬海運株式会社が設立された。当初は自社船もなく、両島運輸からの用船のほか、個人所有の漁船も使用された。
1959年(昭和34年)、北海道離島航路整備株式会社と国内旅客船公団の共有による、新造船「おふゆ丸」が就航し、通年での安定した運航が行われるようになった。もっとも、33総トンの木造船には過酷な環境であり、1968年(昭和43年)には両島運輸の「第二天羽丸」を譲受し、「新おふゆ丸」と改名の上で就航、「おふゆ丸」を代替した。
1953年(昭和28年)の制定以来、国道231号の雄冬を含む厚田 - 増毛(大別苅)間は交通不能区間であり、1958年(昭和33年)から増毛側から建設工事が進められ、1973年(昭和48年)に歩古丹から大別苅の12kmが開通した後、雄冬 - 歩古丹間は4箇所に上陸基地を設置する難工事を経て、1980年(昭和55年)11月に開通し、雄冬は増毛ないし留萌と道路交通で連絡され、文字通りの「陸の孤島」からは脱出する[1]ものの、開通の早かった歩古丹 - 大別苅間はカーブの連続する山道の上、冬期(12月 - 5月)は閉鎖されたため、航路の重要性は変わらなかったが、夏期には週2回、増毛町による無償医療バスが運行されるようになり、雄冬へき地診療所への週1回の医師の派遣が中止された[2]。
続く1981年(昭和56年)11月10日には浜益側の工事も完成し、国道231号が全通したのも束の間、同年12月20日に雄冬岬トンネルで大規模な崩壊が発生、復旧は1983年(昭和58年)12月となり、冬期閉鎖明けの翌1984年(昭和59年)5月15日にようやく開通した[1]。この間、雄冬岬トンネルを迂回する仮道が雄冬住民に開放され、浜益・滝川経由の著しい大回りではあったが、海象の厳しい航路の利用は次第に敬遠されるようになっていった[2]。また、1983年5月には沿岸バスが別苅雄冬線の運行を開始し[3]、増毛町の無償医療バスは廃止された。
1992年(平成4年)4月30日に最終航海を行い、航路は廃止された。同年10月には国道231号の大別苅 - 歩古丹間に大別苅トンネルを主体とする新道が開通し、雄冬 - 増毛間の通年通行が可能となっている。