雄鉄昭和駅
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1921年(大正10年)から釧路川の大規模な河川改修が始まり、建設用資材積卸用側線が当駅近くから分岐し敷設されたため釧路川信号所が置かれた。その後新富士駅の富士製紙釧路工場の依頼により同工場所有の阿寒原生林からの原木運搬のため同工場へ当駅の地点から鳥取岐線と呼ばれた引込線が分岐したため鳥取信号機が置かれ、その後の河川改修の進捗や、埠頭線の完成によって鳥取岐線側が石炭運搬用として整備される過程で、両信号所の位置が都度変更され一時は同一地点に在る状況も発生したが、詳細は残されていない。最終的には河川改修が終了して釧路川信号所は廃止され、埠頭線連絡石炭運搬用分岐点として鳥取信号所が1951年(昭和26年)に正式に設置された。この信号所には40 m程度のホームがあったが、一般人の旅客扱いについては不明[3]。その後鶴野線の完成による鳥取岐線の廃止に伴い、同信号所も廃止となるところを、周辺人口も増加していることから新たに整備して旅客駅として開業したのが当駅である。
歴史
- 1923年(大正12年)以降:河川改修用信号所設置(起点5,148 m)。
- 1926年(大正15年)
- 1927年(昭和2年)6月12日:釧路川信号所移転(起点5,894 m)。
- 時期不詳:釧路川信号所移転(起点5,910 m)。
- 1935年(昭和10年)9月20日:釧路川信号所廃止。(この時点で鳥取分岐点の位置は起点5,776 m)
- 1948年(昭和23年)5月28日:鳥取岐線を起点として国鉄新富士駅まで支線(鳥取支線)を延長[1]。雄別炭を北埠頭へ輸送。
- 1951年(昭和26年)4月11日:鳥取信号所を正式に設置(起点5,894 m)[3]。鳥取信号所の開設後に鳥取岐線と鳥取支線を併せて鳥取側線と呼称されるようになった[1]。
- 1956年(昭和31年):鳥取側線と製紙工場構内線との連絡線が撤去。製紙工場への木材輸送が廃止され、北埠頭向け石炭輸送専用線となる。
- 1968年(昭和43年)1月20日:鳥取岐線及び鳥取信号所廃止。ホームを延長し、雄鉄昭和駅として開業[2]。旅客駅。
- 1970年(昭和45年)
