霊仙寺 (恵那市)
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| 霊仙寺 | |
|---|---|
| 所在地 | 岐阜県恵那市中野方町2885 |
| 位置 | 北緯35度31分34秒 東経137度18分33秒 / 北緯35.52611度 東経137.30917度座標: 北緯35度31分34秒 東経137度18分33秒 / 北緯35.52611度 東経137.30917度 |
| 山号 | 久遠山 |
| 宗旨 | 真宗大谷派 |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 創建年 | 明治13年(1880年) |
| 開山 | 亀井徳令 |
| 法人番号 | 1200005009206 |
霊仙寺(れいせんじ)正式表記は靈仙寺(旧字体)は、岐阜県恵那市中野方町にある真宗大谷派の寺院。山号名は久遠山(くおんざん)。
江戸時代の中野方村は臨済宗妙心寺派の心観寺の檀徒と、加茂郡久田見村の真宗大谷派の法誓寺の門徒、郡上郡の真宗大谷派の念興寺・本覚寺・覚証寺の門徒とに分かれていた。
明治3年(1870年)の苗木藩の廃仏毀釈によって、心観寺は取壊されて、中野方村(岐阜県恵那市)には寺院が無くなった。
真宗大谷派の門徒は11月の報恩講を重要な年中行事としていたが禁じられ、真宗大谷派の寺院への参拝も禁じられ神道への改宗を強制された。
明治4年(1871年)に、苗木県(旧苗木藩)が岐阜県に吸収されて消滅すると廃仏毀釈が終了し、
明治5年(1872年)に、中野方村では真宗大谷派の門徒によって仏教復帰の運動がおこり、柘植六兵衛が惣代となり岐阜県庁に嘆願した。
明治6年(1873年)には、近藤民平と近藤銀吉が惣代となり岐阜県庁に嘆願した。
岐阜県庁からの回答は、「帰依仏の儀は勝手次第にいたし宗義はそのまま差置き候様」であった。[1]
寺院側も廃仏毀釈によって神道への改宗を強制された信者の復帰を教部省へ陳情したり、本山に嘆願して働きかけた。
明治8年(1875年)政府から「信教の自由保障の口達」があり、各宗派に伝達されたため、加茂郡久田見村の真宗大谷派の法誓寺の亀井徳令が説教所を中野方村に開設した。
その後、柘植小平治の他2名の志願により、かつて中野方村に存在した心観寺の末寺の霊仙寺の跡地に、
明治13年(1880年)3月13日、その寺号を復して、亀井徳令によって、久遠山 霊仙寺が開山された。
明治20年(1887年)ころより本堂建立のための工事を開始した。
明治22年(1889年)10月10日、本堂上棟式を執行した。
明治24年(1891年)5月15日、現本堂の建立にともない入仏供養会を厳修した。
大正12年(1923年)10月、宗祖親鸞聖人六百五十回御遠忌法要を厳修した。
昭和5年(1930年)8月25日、初代住職亀井徳令が還浄。