青木新門
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1937年4月11日、富山県に生まれる。少年時代は旧満州で過ごす。
早稲田大学中退後、富山駅前で飲食店(スカラベ)を経営するかたわら文学を志す。吉村昭の推挙で『文学者』に短編小説『柿の炎』が載るものの、経営する店が倒産する。
1973年、冠婚葬祭会社(現オークス/当時の社長は奥野博)に入社(専務取締役を経て、2012年現在は非常勤顧問)、納棺専従社員(納棺夫)となる[注釈 1]。
1993年、葬式の現場の体験を『納棺夫日記』として地元出版社の桂書房から出版しベストセラーとなる。
1996年、本木雅弘が『納棺夫日記』を読んで感銘を受け、青木の自宅や会社を訪問し、一旦は本木を主演とすることを条件に映画化を許可するものの、映画の脚本の結末が小説と異なること[注釈 2]と富山をロケ地にしないことを理由に、映画の原作とすることを拒否する。映画『おくりびと』は、青木の意向により『納棺夫日記』を原作として製作していない(詳細は、おくりびと#概要を参照)。
亡くなるまでは、主に著述と講演活動をしていた。
2022年8月6日、肺癌のため死去[1]。
納棺夫としての葛藤
今日、職業としては一般に、男女とも納棺師と呼ばれる場合が多い。
- 差別
- 死にたずさわる仕事に就いたため、叔父から差別的発言を受け、また「親族の恥」とも罵られて、親族と疎遠になる。妻からも納棺夫の仕事を辞めるように懇願される。納棺夫の職を辞めようと考えるようになる。
- 葛藤
- かつての恋人の父親を湯灌したことを契機に、納棺夫の仕事を続けようと思い直すものの、世間から白い眼で見られること、小学校に入学する娘が差別されるのではと悩み、納棺夫の職を辞めようと再び考える。
- 転機
- かつて「親族の恥」と罵った叔父が、末期ガンで入院する。嫌々ながら見舞いに訪れると「ありがとう」と今際の際に言い残し亡くなる。叔父に対する憎しみが消え、己に対する恥ずかしさを感ずる。