青江忠一

From Wikipedia, the free encyclopedia

青江 忠一(あおえ ちゅういち、1924年大正13年)12月5日[1]- 没年不明)は、日本飲食店経営者ゲイバー「青江」の経営者、通称・青江のママ。

東京府神田東松下町呉服屋[注釈 1]に生まれる[1]千桜小学校大成中学校を卒業し、1942年昭和17年)に法政大学予科に入学する。戦中学徒出陣し、千葉県習志野騎兵部隊に配属される。その後、戦車部隊に配属され、終戦時に少尉[注釈 2]に任官する[1]1949年昭和24年)に法政大学経済学部を卒業し、貿易会社に入社する、在学中は馬術部や応援団で活動する[1]
1952年(昭和27年)頃に島田正雄に誘われ、島田の経営する「やなぎ」に勤めはじめる。1956年(昭和31年)に銀座二丁目の並木通りにゲイバー「青江」を開店し[1]1957年(昭和32年)に鎌倉に支店を出す。1968年(昭和43年)にパリに出店し[注釈 3]、パリの店はカルーセル麻紀をマダムに据える[1][2]。その後、錦糸町六本木に移転する。

人物

  • 東京神田で三代続く呉服屋に生まれ、裕福な家庭で育つ。
  • カルーセル麻紀の師匠で、「マキ」の名付け親である[3]
  • 礼儀作法に厳しく、従業員の教育にも厳しく「青江ゲイ学校」と呼ばれる[1]
  • 徴兵制度(もしくはそれに代わるもの)に賛成である[1]

著書

脚注

注釈

Related Articles

Wikiwand AI