戦後初のゲイバーで、後に六本木にゲイバー「吉野」を出す吉野寿雄(吉野のママ)や、銀座にゲイバーを出す青江忠一(青江のママ)が働いていた。1955年(昭和30年)には銀座8丁目にも出店し、そこを本店とした。
「サービスの達人たち」(新潮文庫・旧タイトル「日本のおかま第一号」)では、日本初のゲイバーと紹介されている。しかし戦前の昭和初年には既に、ゲイバー・ゲイクラブはあったといわれている[1]。また江戸時代の元禄年間には現在の売り専バーに似た「陰間茶屋」があった。そのほか吉野によれば、戦前も歌舞伎の大部屋の女形の人が女装して影で小さい店をやっているということはあったという[2]。