青野勝

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生年月日 (1957-01-12) 1957年1月12日(69歳)
前職 愛媛県西条市長
青野 勝
あおの まさる
生年月日 (1957-01-12) 1957年1月12日(69歳)
出生地 愛媛県西条市
出身校 慶應義塾大学経済学部経済学科
前職 愛媛県西条市長
所属政党 無所属
称号 経済学士(慶應義塾大学)
当選回数 1回
在任期間 2012年11月28日 - 2016年11月27日
選挙区 西条市選挙区
当選回数 2回
在任期間 2007年4月30日 - 2012年
愛媛県東予市長
当選回数 3回
在任期間 1995年 - 2004年
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青野 勝(あおの まさる、1957年昭和32年)1月12日[1] - )は、日本政治家。元愛媛県西条市長(1期)。 元愛媛県議会議員、旧東予市長。

東予市長

愛媛県西条市出身。愛媛県立今治西高等学校慶應義塾大学経済学部経済学科卒業。

農家の長男で慶応義塾大学を卒業に跡継ぎとして帰郷[2]1980年周桑農業協同組合に入組し、組織指導課調査役や庶務課長を務めた[2]

1995年1月15日に行われた東予市長選挙に38歳で立候補し、現職の青野照雄に8,097票の大差をつけて破り初当選[3]。選挙戦では藤原敏隆県議、市職員OB、同級生らの支援を受け、「新しい流れを」と訴えて草の根選挙を展開[3]。現職批判票をまとめるとともに若さや清新さに期待する若者や女性を中心に支持を広げ、最後は地滑り的に大勝した[3]。40歳で大洲市長に就任した村上清吉の記録を塗り替え,戦後の愛媛県内最年少市長の誕生となった[4]

1999年1月17日に行われた東予市長選挙では、新人の矢野清秀に1万40票の大差をつけて再選[5]

2003年1月26日の東予市長選挙に立候補し、1万2196票を獲得し元職の青野照雄を大差で退け3選を果たした[6]。その後は、東予市が2004年11月1日丹原町小松町西条市と合併するまで市長を務めた。東予市長在任の間には全国市長会新産都市協議会会長、全国青年市長会副会長、愛媛県市長会会長を務めている。

合併で誕生する新・西条市の市長選については、2004年9月に記者会見で不出馬を表明した[7]。新市の市長選には伊藤宏太郎西条市長が立候補を表明していたが、不出馬の理由として「伊藤氏とは政治スタンスに異なる点もあるが合併協議会で新市建設計画を組み上げ、最終的に基本合意している。政策上では大きな違いはない」と説明し、更に県内他地域の合併後の首長選挙が地域間の対立となっている点を挙げ、「(東予市の代表として出馬することが)大きな障害を残しかねない」と述べている[7]

政策

  • 子育て支援
学童保育全校区実施や乳幼児医療費の市単独無料化など他市に先駆けた子育て支援政策を実施した[8]。また愛媛県で初となる幼稚園と保育所を同一施設内で運営する幼保一元化施設「南幼稚園・南保育園」を2004年4月に開設した[9]
  • 河原津干拓地への刑務所誘致
戦後の食糧難解消のため、農林水産省が埋め立てた集団営農地である河原津干拓地への刑務所誘致を推進し、2004年2月に国と県に誘致要望を提出した[10]。住民の反対運動などもあり、実現していない。
  • 中山川ダムの建設見直し
県が進めていた中山川ダムの建設を巡って、予定地上流に産廃処分場がある他、重金属を含む廃鉱が貯水池にある事が分かり住民に不安が上がっていた。2001年5月に青野市長は市政報告会で「多くの市民は中山川ダムの水は飲めないと思っている」と発言[11]。この発言が発端となり、市議会はダム見直し決議を採択、ダム中止署名運動も起き、中山川総合開発事業推進協議会も建設推進姿勢を凍結[11]。その後、中山川ダムは2003年度予算の財務省原案で関連予算が計上されず、中止となった[11]
  • 市町村合併への対応
市町村合併を巡っては、2001年の広域合併に関するシンポジウムで新居浜市・西条市を含む3市2町の合併を理想として挙げた[12]。最終的には新居浜市を除く西条市・小松町・丹原町の2市2町の合併が行われる事となった。合併後の2市2町の全議員の任期延長(在任特例)を巡っては住民から批判の声が上がる中、合併協議会で「われわれと市民の間には意識のずれがあると感じた。住民の意見を反映せざるを得ない」と修正を求めたが、残り3市町の首長が任期延長案を擁護し4市町の各議会の議長も「延長は必要」で一致し最終的には全会一致で原案通り可決された[13]

愛媛県議会議員

2007年には愛媛県議会議員選挙に立候補し2期連続トップ当選した(無所属を経て自由民主党)。西条市長選挙に立候補するため、2期の途中で県議会議員を辞職した。

西条市長

2012年11月18日に行われた西条市長選挙に立候補し、上水道整備などの地域間格差是正や市民参加の「開かれたまちづくり」を掲げ、東予市長・県議時代の支持者や元小松町長らが支援[14]。現職の伊藤宏太郎に122票差で初当選を果たした[15]11月28日、市長就任[16]。 市が2004年の2市2町の合併協定書に反して建設を進めていた市役所新庁舎の建設方針見直しを主張しており、市長就任後には建設を中断し市民と話し合って結論を出すことを表明した[17]。しかし、「業者への補償や国から受ける特定財源を放棄するリスクが大きく、防災拠点整備が遅れる危険も大きい」ことから12月定例市議会招集あいさつで11月19日から中断していた新庁舎の工事を再開することを表明した[18]

西条市議会からは新庁舎の建設工事再開を独断で行ったとして批判の声が上がり、2013年1月9日の市議会において不信任決議案を提出され可決された[19]。就任43日目の市長に対する不信任決議案であった。改選後初招集議会となった3月初めの臨時議会でも再び、市長不信任決議案が提出された[20]。これを受け失職か議会解散を迫られた青野は1月17日に「建設継続を含めた見直しであり公約違反ではない」として議会を解散した[21]

解散後、2013年2月24日に行われた西条市議会議員では、34人が立候補し市長に対する不信任議決に賛成した前職16人中13人が当選する一方、改選後の不信任再議決に反対する意向の前職、元職、新人計12人が当選した[22]。改選後初招集議会となった3月初めの臨時議会でも再び、市長不信任決議案が提出された[20]。可決されれば、市長は失職する事態だったが、反対する議員が本会議を退席[20]。会期延長の翌日も終日空転し、採決に至らず廃案となった[20]

就任後は、市民が参加できる市政懇談会を市内各所で開催。小中学生の医療費の無料化や放課後保育クラブの対象児童拡大をはじめとした子育て支援やICT教育に力を入れ、愛媛大学の誘致を実現している。農業の総合6次産業化や物流・防災拠点となる東予港の整備をはじめとした産業振興にも取り組んでいる。

愛媛県知事である中村時広をはじめとした国や県の政治家との親交が厚い。2015年より愛媛県市長会会長に就任。

2016年11月20日に行われた西条市長選挙では再選を目指し、出馬するも元愛媛県議会議員で新人の玉井敏久に敗れ落選[23]。玉井敏久は、愛媛県議会議員時代から関係のある連合愛媛の支持に加え、前回選挙で伊藤宏太郎前市長を推した自民党系市議や自民党県議らの応援を受けた[24]

略歴

人物

政策

  • 愛媛県営黒瀬ダムからの松山分水(中予分水)については、反対を表明している[25]

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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