韓猛 From Wikipedia, the free encyclopedia 出生 生年不詳死去 没年不詳拼音 Hán Měng別名 韓荀(「曹仁伝」本文)韓𦳣(「荀攸伝」本文)韓若(「荀攸伝」裴注)韓猛後漢出生 生年不詳死去 没年不詳拼音 Hán Měng別名 韓荀(「曹仁伝」本文)韓𦳣(「荀攸伝」本文)韓若(「荀攸伝」裴注)主君 袁紹テンプレートを表示 韓 猛(かん もう、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の武将。字は不明[1]。 『三国志』の注釈者裴松之によると、他に荀・𦳣[2]・若の名が伝わるが、猛の名も含めてどれが正しいかは分からないという。本記事では便宜的に、『三国志演義』でも採用されており、一般に最も知られていると思われる「韓猛」を採る。 袁紹配下。曹操軍の荀攸の評によれば、韓猛は「向こう意気が強くて敵を軽んじる男」ということであった。 建安5年(200年)の官渡の戦いで、曹操軍の西方の交通を遮断するよう袁紹から命じられたが、雞洛山で曹仁に撃破された。さらに、袁紹軍の兵糧の運搬を警護する役目も担ったが、荀攸の計略により徐晃・史渙(『三国志』諸夏侯曹伝によると、曹仁も)に妨害され、輸送車を焼き払われた。その後は史書に記述が見当たらない。 物語中の韓猛 小説『三国志演義』では、韓猛の名が採用されている。曹操軍は韓猛の兵糧輸送警護について、史渙が捕虜から情報を得て知ることになっている。史実同様に徐晃・史渙の攻撃を受けて輸送車を焼き払われる。さらに、怒った袁紹から処刑されそうになったものの、諸将の取り成しで命を助けられたが、雑兵に降格させられてしまう。 脚注 [脚注の使い方] ↑ 字などについてはノート:韓猛参照 ↑ ⿱荀大(U+26CE3)の字について、音は「シュン」(xǘn)であるが、宋濂『篇海類編』によれば「啜」の同字であるという。 参考文献 『三国志』魏書10荀攸伝 同魏書9曹仁伝 『三国演義』 Related Articles