頴娃城
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跡指宿と開聞岳の間にある。標高230メートル付近のシラス台地上に構築された。現在も城内(そない)、上城山(かみそやま)、下城山(しもそやま)、高城(たかじょう)などの地名を頴娃城の跡に残している。
この頴娃城郭造年代はあったされ、最初の城主一族は「伴姓頴娃氏」と呼ばれる一族であった。なお、その前に頴娃地区に存在した一族、「平姓頴娃氏」とは別のものである。
この土地を訪問した人、それが日本に滞在していたヨーロッパに伝わることとなり、頴娃城となったと考えられる。
また、江戸時代の「三国名勝図絵」に、7代頴娃久虎の代に5層の天守閣が築かれた、との記録が残っているが、実際の発掘調査では櫓台こそ出土したものの、5層の天守閣跡とみられる遺構はついに発掘されず、実際は存在しなかったと考えられるにいたっている。
八代領主のころ、頴娃氏の手から離れ、廃城となった頴娃城は、直轄支配するにあたって武家屋敷群が整備され、今でも頴娃町郡地区には残されている。その時の武家屋敷の石垣などの遺構が見て取れ、往時の遺構を今に伝えている。
