顔之推
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経歴
南朝梁の鎮西府諮議参軍の顔協の子として生まれた。顔氏は、顔之推の九世の祖にあたる顔含のときに江南に渡って、代々『周礼』や『春秋左氏伝』に通じていた。顔之推も、老荘をきらって儒学を好み、学識にすぐれ、文藻に富んだ。南朝梁の湘東王蕭繹の下で左常侍・鎮西墨曹参軍に任じられた。官にあっては酒を嗜み、放縦な生活を営んだ。郢州で掌管記をつとめていたが、侯景の乱で郢州が陥落すると、捕らえられて建康に送られた。乱が平定されると、江陵に帰った。蕭繹が帝位につくと、顔之推は散騎侍郎となった。承聖3年(554年)、西魏が江陵を攻め落とすと、顔之推は捕らえられ、李顕慶に庇護されて弘農にうつった。しかし黄河の氾濫に乗じて家族とともに北斉に亡命した。
文宣帝に気に入られて奉朝請となり、帝の側近として仕えた。中書舎人・趙州功曹参軍・司徒録事参軍などを歴任し、黄門侍郎となった。北周が北斉を滅ぼすと、のちに御史上士として召された。隋が北周を滅ぼすと、太子の楊勇に召されて文学となったが、まもなく病没した。