侯景の乱

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侯景の乱
戦争:侯景の乱
年月日548年8月 - 552年3月
場所長江下流域一帯
結果南朝梁の勝利
交戦勢力
侯景 (漢) 南朝梁
指導者・指揮官
侯景
宋子仙
任約
侯子鑑
王偉
蕭範
蕭綸
羊侃
徐文盛
王僧弁
戦力
不明 不明
損害
不明 不明

侯景の乱(こうけいのらん)は、中国南北朝時代に南朝のにて侯景が起こした反乱

侯景東魏の権臣高歓の有力な武臣のひとりであり、高歓の死後に東魏から離反して南朝梁に降った。しかしほどなく梁の武帝が東魏と結んだため、孤立を恐れた侯景は548年に反乱を起こし、梁の都の建康を包囲した。翌年に建康を陥落させ、武帝を横死させた。簡文帝や豫章王蕭棟を相次いで擁立し、ついには自ら皇帝に即位して、国号を漢とした。侯景は長江下流域を平定し、中流域に勢力を張った湘東王蕭繹と対決したが、552年に蕭繹の派遣した王僧弁陳霸先らに敗れて、逃亡中に部下に殺害された。侯景の死によってその反乱は終息したが、江南社会を大混乱におとしいれた傷跡は深く、以後の南朝の衰退を決定づけた。

経緯

評価

脚注

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