成長するにしたがい科挙に合格するための学問に励んでいたが、明の滅亡に会ってからは、官に仕えず生涯を隠士としておくることを決意した。さらに、父の顧柔謙が日頃『大明一統志』の不備を痛感しこれを補うべき地誌の編纂をのぞんでいたことに刺激されて、順治16年(1659年)より『読史方輿紀要』の編纂に着手し、しばしば貧しさに苦しめられながらもよく初志を曲げず、康熙17年(1678年)についに完成させた。この間約20年。
その後、康熙29年(1690年)に徐乾学が『大清一統志』の編纂を企て、書局を江南蘇州の洞庭山麓に設けたさい、徐乾学の懇請に応えて、当時の著名な地理学者であった閻若璩・黄儀・胡渭などとともに修史事業に関与したが、これはついに完成せず、その4年後に顧祖禹自身も世を去ったのである。