食官令
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概要
もと中国で官庁の名を特に定めることはなかったので、食官令以下の官吏を総称するときは単に食官と呼んでいた。南北朝時代に役所に正式の名を与えるようになると、食官署が設けられ、その長官が食官令となった。次官は食官丞である。食官令とほぼ同じで地位が低い官職に、食官長があった。令・長がないまま食官の職員がいる場合もあった。
勤務先は大きく二つに分かれ、一つは皇帝などの陵墓である。前漢では陵墓の祭祀が重視され、陵ごと別々に食官令が置かれ、食事を供えた。勤務地の名を冠して渭陵食官令などといった。後漢では祭祀対象となる陵の数を減らしたが、なお複数の食官令がいた。さらに後には陵のための食官令は置かれなくなった。
もう一つは食事提供が国家的業務になるほど身分が高い人である。皇太子、皇后、皇太后のほか、皇帝に臣従する諸侯王も対象となりえた。一つの王朝でこれらの食事担当者がみな食官令と呼ばれることはなく、一つが食官令で、他は食官長、あるいは令・長といった長官職なしの食官、あるいは尚食令といった別の名など、地位により官名を変えるのが普通であった。皇太子のための太子食官令は後漢から唐まで多くの王朝にあった。皇后、皇太后には食官令がつく時代とつかない時代があった。諸侯王に食官令はなく、食官長がいる時代があった。
秦
史書に現れるのは前漢からだが、前漢は多く秦の制度を引き継いだので、秦にもあった可能性がある。