戦国時代の甲斐国では守護・武田氏と有力国衆との抗争が繰り広げられたが、『勝山記』によれば、永正12年(1515年)10月17日に武田信虎は西郡の国人である大井信達・信業を攻め、大井氏の本拠である富田城[1]を囲んだ[2]。武田方は深田に馬を乗り入れて、道悦・源四郎や今井信房、於曽備州、小山田大和守、甘利衆らが戦死したという[2][3]。
道悦は信虎・晴信父子に仕えた飯富虎昌・昌景の実父、もしくは近親者とされる[4]。この謀反の際に飯富源四郎という人物も戦死しており、この名は昌景の仮名と一致する[4]。このため、この飯富源四郎が虎昌・昌景兄弟の父親にあたる可能性が指摘される[3]。ただしこの場合、昌景の生年をかなり繰り上げる必要性があり、疑問も残されている。
『一蓮寺過去帳』によれば法名は「宣阿弥陀仏」[3]。山梨県甲斐市亀沢には飯富氏の菩提寺である天沢寺が所在し、『甲斐国志』によればかつて飯富虎昌の位牌が伝来していたという[3]。この位牌には「笑岳悦公居士」と記され、「悦」の一字が共通することから道悦のものであるとも考えられている[3]。