飯田助夫
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素封家・飯田助大夫快三の長男として神奈川県橘樹郡、のちの大綱村(現横浜市港北区)に生まれる[2]。1925年(大正14年)12代を継ぐ[1]。1903年(明治36年)大綱村農会長となり、大綱村会議員、橘樹郡会議員、1917年(大正6年)大綱村長、同教育会長、町村会役員などを歴任した[1]。
1924年(大正13年)6月、神奈川県会議員に当選[1]。2期務め、1928年(昭和3年)7月には議長に推された[1]。1927年(昭和2年)4月、大綱村が横浜市に編入されると横浜市会議員に当選[1]。さらに市会参事会員となった[1]。ついで横浜市農会の創設と共に副会長に就任し、1932年(昭和7年)1月、県農会副会長となった[1]。ほか、大綱村学務委員、横浜市養蚕組合長、同果物組合連合会長、県耕地協会理事、小作調停委員などを歴任した[3]。1935(昭和10)年5月、立憲民政党横浜支部長・三宅磐が現職のまま死去したため、1936年(昭和11年)2月の第19回衆議院議員総選挙では三宅の地盤を引き継ぐ形で神奈川県第1区から出馬し当選。つづく第20回総選挙でも当選し、衆議院議員を2期務めた[4]。
伝記
- 品川貞一『飯田家三代の俤』マンノー社、1941年。
