飯詰城
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歴史
康永3年(興国5・1344年)、万里小路藤房の息子朝日景房が築城したとされる(飯詰村史[注釈 1])。その後、朝日氏は浪岡氏に仕えた。天正16年(1588年)、津軽統一をもくろむ大浦為信の攻撃により、落城し、万里小路藤房より十代目の城主朝日行安は自害し、飯詰城は廃城となった。この城には、落城の際の白米伝説(詳しくは朝日行安を参照)や糠塚川に鎧を捨て、逃亡を企てたが、力尽き、主従は自害したという逸話が残っている[注釈 2]。なお、「鎧留」の地名はその話に由来するという。また、落城の際に大浦方の道案内をした人物として、対馬右衛門太郎の名を挙げ、尻無方面(五所川原市)から攻め入ったという(方々由緒書)。また、阿部孫三郎信友の名をあげる資料もある(金木郷土史)。
