饒正太郎
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関わった主な詩誌
- 『椎の木』椎の木社 [6]: 第1期 (1926年10月-1927年9月)、第3期 (1932年1月-1936年3月) が百田宗治編集で、多くの有力新人が作品を発表し、モダニズムと抒情という雰囲気であった。寄稿者には室生犀星、春山行夫、萩原朔太郎、西脇順三郎、村野四郎、草野心平、佐藤朔らがいる[7]。饒は1932年から1934年ころまで詩を発表した[2]。
- 『カイエ = cahier』カイエ社 1933年7月-1934年11月 編集兼発行人 饒正太郎[8]: 中野区の自宅を発行所として創刊した第1号に饒は、「花」と題する詩と、ストラヴィンスキーの『兵士の物語』について述べた「音楽地理」と題する一文を載せている[9]。
- 『20世紀 : L'esprit de la poésie contemporaine』二十世紀刊行所 1935年1月-1936年12月[10]: 饒正太郎、酒井正平、西崎晋、小林善雄、川村欽吾らが創刊。イギリスの詩人オーデンの詩劇『死の舞踏』を饒と酒井の共訳で連載[11]。この雑誌はA4判の大きなサイズで、第5号では饒が多忙のため編集を桑原圭介に代わったことが記されている[12]。
- 『新領土』アオイ書房 [13]: 1937年5月-1942年1月刊行。上田保他編、同人に春山行夫、村野四郎、近藤東。鮎川信夫、江間章子、桑原圭介らが参加し、モダニズム的傾向で、同時代の海外の詩論を積極的に紹介した[14]。創刊号後記で饒は「「新領土」という名の意味は、土地を奪うという意味ではなく、新しく開拓するという意味で、その点ナショナリズムではなく、極めて国際主義を標榜している」と述べている[15][16]。
- 『文藝汎論』(文芸雑誌) 文芸汎論社 1931年9月-1944年2月: 編集者は岩佐東一郎と城左門で、1935年以降に饒が寄稿している[17]。