首藤今四郎 From Wikipedia, the free encyclopedia 生年月日 1886年4月出生地 日本 大分県大分郡戸次町(現・大分県大分市)没年月日 1970年4月7日前職 別府警察署長 日本の政治家首藤今四郎すとう いましろう生年月日 1886年4月出生地 日本 大分県大分郡戸次町(現・大分県大分市)没年月日 1970年4月7日前職 別府警察署長 大分県日田市長在任期間 1941年3月18日 - 1945年3月17日 大分県会議員在任期間 1935年 - 不明 大分県日田町長在任期間 1928年10月3日 - 1936年10月2日 大分県宇佐郡長在任期間 1924年 - 不明テンプレートを表示 首藤 今四郎(すとう いましろう[1]、1886年〈明治19年〉4月[2] - 1970年〈昭和45年〉4月7日[3])は、日本の政治家。大分県日田市長。 大分県大分郡戸次町(現在の大分市)生まれ[4]。1907年(明治40年)、大分県巡査となった[4]。1914年(大正3年)、文官普通試験に合格し、大分県警部となった[4]。1915年(大正4年)、日田警察署長となった[4]。その後、臼杵、四日市(現・宇佐署)、別府の各署長を歴任した[4]。1924年(大正13年)、宇佐郡長となる[4]。1928年(昭和3年)10月3日、日田郡日田町長に就任[5][6]。1935年(昭和10年)、大分県会議員となる[4]。1936年(昭和11年)10月2日に町長を退任した[6]。県議在任中の1940年(昭和15年)日田市が発足、翌1941年(昭和16年)3月18日に初代日田市長に就任した[5]。市長就任時は国全体が戦時体制に突入しようとしている時期であり、国家は軍事優先となる方向で、軍事関係以外の不急事業は抑制され、新たに発足した日田市建設の理想実現は困難だった。市政運営の基本には合併した旧町村の円満な融合であり、産業の振興、道路や橋梁の修復、学校の建設などにおいても、その効果が市中心部だけでなく、市全体に行き届くことを念頭に置いた[5]。市長は就任から4年後の1945年(昭和20年)3月17日に退任した[5]。1947年(昭和22年)、大政翼賛会日田支部長を務めたことを理由に公職追放の対象となった[4][7]。1951年(昭和26年)に追放解除となった[4]。 脚注 [脚注の使い方] ↑ “首藤 今四郎 | 人物検索 | 徳富蘇峰記念館”. 徳富蘇峰記念塩崎財団. 2026年4月12日閲覧。 ↑ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、426頁。 ↑ 『日田市三十年史 563コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション 1 2 3 4 5 6 7 8 9 『日田市史 346コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション 1 2 3 4 『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み 第3巻 311コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション 1 2 『天領であった日田市百年の歩み 51コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション ↑ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、582頁。NDLJP:1276156。 公職追放の該当事項は「翼賛市支部長同郡協」。 参考文献 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1276156。 『日本の歴代市長』 第3巻、歴代知事編纂会、1983年。 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。 表話編歴 大分県日田市長官選 首藤今四郎1941.3-1945.3 伊東政喜1945.3-1945.12 広瀬正雄1945.12-1947.4 公選 広瀬正雄1947.4-1952.10 岩尾精一1952.10-1968.10 畑英次郎1968.10-1979.7 石松安次1979.8-1995.8 大石昭忠1995.8-2007.8.4 佐藤陽一2007.8.5-2011.8.4 原田啓介2011.8.5-2023.8.4 椋野美智子2023.8.5- カテゴリ Related Articles