馬場はる
日本の女性慈善家 (1882-1959)
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略歴
下新川郡泊町(現・朝日町)の
15歳の時の1902年(明治35年)、上新川郡東岩瀬町にて廻船問屋を営んでいた馬場家の3代目当主、馬場道久(1919年〈大正8年〉病没)に嫁ぎ[1][3]、夫の没後は育児と家業経営を担った[3]。
その後、富山県立富山中学校(現・富山県立富山高等学校)に在学していた長男の馬場正治から進学先[注釈 1]について相談されたのをきっかけに[5][3]、はるは地元の子弟のため富山県にも高校を設置したいと考えるようになり、1923年(大正12年)、富山県に高校設置を申請するとともに150万円を超える寄付をした[3]。富山県は寄付を基に私立の『馬場高等学校』として開校する事を提案したが、はるは公立での開校を要望したため、公立高校としての設置が決定した[5]。これがきっかけで、同年10月に7年制の旧制富山高等学校の設置に至った。さらに高校の開校を記念して、ラフカディオ・ハーンの蔵書などを遺族から買い受け、『ヘルン文庫』として寄贈した[1][3]。はるはこれ以降も富山高校への寄付を続け[3]、その総額は161万5,000円に及んだ[6]。
1971年(昭和46年)5月20日、日赤富山病院にて死去。85歳没。同月31日に富山市葬が富山本願寺で執り行われた[7]。
その後、旧制富山高校の校地は、後身の新制富山大学文理学部が蓮町キャンパスとして1962年(昭和37年)まで引き続き使用し、文理学部が五福キャンパスへの統合で移転した後は馬場記念公園(蓮町公園)として整備されている。1995年(平成7年)には、はるの功績をたたえて彼女の胸像が公園内に建立された[5]。