馬屋原彰
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長州藩士・馬屋原良蔵の息子として生まれる[1][3]。藩校・明倫館で学び、後に江戸で騎兵術を修めた[1]。帰藩して選鋒隊に加わり藩世子毛利定広に従い江戸と京都間を行き来した[1]。慶応2年(1866年)第二次長州征討の石州口の戦いに従軍し軍功を挙げた[1][3]。慶応3年(1867年)明倫館と兵学寮の都講となった[1]。
明治4年7月25日(1871年9月9日)明治政府に出仕し民部省に入り民部庶務大祐に就任[4]。以後、大蔵省戸籍十一等出仕、太政官一等出仕、同大主記、左院大掌記、同少議生、五等議官、太政官少書記官、同権大書記官、参事院議官補、法制局参事官、同司法部長、行政裁判所評定官などを歴任[2][4][5]。1893年3月10日に行政裁判所評定官を依願免本官となり退官した[6]。
1891年12月22日、貴族院勅選議員に任じられ[7]、死去するまで在任した[2]。1897年12月8日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[8]。1919年1月8日薨去。墓所は青山霊園(1ロ-20-14)。
栄典
著作
- 訳書
- 『和蘭議員選挙法 : 1850年校定』文部省、1872年。
