馬渡 (ひたちなか市)
From Wikipedia, the free encyclopedia
国営ひたち海浜公園、国指定史跡の馬渡埴輪製作遺跡(5世紀末〜6世紀)がある[4]。本郷川上流域に位置し、干しいも(乾燥芋)の畑が多く存在する。
地名は源義家が奥州遠征の途中馬を引き連れて川を渡ったことに由来するという伝承がある[5][6]。鎌倉時代に見える地名。常陸国吉田郷のうち。文禄3年の太閤検地を機に那珂郡に属した。1889年(明治22年)から1954年(昭和29年)までは、前渡村の大字であった。
馬渡は、もと川が二又に流れていたので、二又という地名だったが、八幡太郎義家が奥州征伐のとき数十頭の軍馬を引き連れてこの川を渡ったので、馬渡というようになった。軍馬が馬を洗ったところを「馬洗い」という。また「馬洗所」が「マアレド」となまり、「マワタリ」になったといわれている。--勝田市史編さん委員会(編)1987年 『勝田市史 民俗編 p745』
歴史
世帯数と人口
道路
学校
寺社
- 酒列神社 - 馬渡は、本郷・下宿・ 中宿・上宿で構成され、酒列神社を鎮守の神としている。本郷は古くからあった部落で、俗に馬渡本郷とか本馬渡と呼ばれていて、沢田の海岸からの移住者とは歴史的な背景の格差があったことを暗示している。鎮守の祭りも本郷の人々が参加しない限り、宿だけでは執行できなかった。これは、宿の人々が後から移住したからであると考える[9]。