馮皇后 (後晋)

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馮皇后(ふうこうごう、生没年不詳)は、後晋の少帝石重貴皇后本貫定州[1]

鄴都副留守の馮濛の娘として生まれた。石重胤にとついで、呉国夫人に封じられた。石重胤が早逝すると、やもめ暮らしをしていたが、石重貴に容色を気に入られた。天福8年(943年)10月、少帝に後宮に入れられ、皇后に立てられた。少帝の寵愛を独占し、后宮の尚宮・知客らはみな郡夫人となった。皇后の兄の馮玉は端明殿学士・戸部侍郎に抜擢され、宰相となった。開運4年(947年)3月、少帝とともにの黄龍府に連行された。少帝の屈辱を憐れみ、ともに心中しようと、毒薬を入手しようとしたが、入手できなかった。その晩年は知られていない[2][3]

脚注

伝記資料

参考文献

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